「人との出会いが自分の糧になる。」事業家フットボーラー中井健介さんへお話をお伺いしました。
GUEST:中井 健介(なかい けんすけ)
1989年生まれ。小学校4年生からサッカーを始め、滝川第二高校、専修大学と進学。大学時代にフットサルと出会い、大学卒業後にペスカドーラ町田へ入団。2013年からチームの中心として活躍し、2019年3月7日を以て引退と所属チームの退団を発表。
現在は実業家として独立し、webショップの運営など活動をしている。
フットサル選手として活躍しながら、経営者としても活動する中井さん。スポーツ、経営者と2軸で活躍する中井さんへデュアルキャリアの考え方をお聞きしました。
※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2019年4月5日に掲載した記事になります。
出会い
ー中井さん、本日はよろしくお願いします。まず、 サッカーを始めたきっかけを教えていただけますか?
小学校4年生の時に同じクラスの子にサッカークラブへ誘われたのがきっかけです。軽い気持ちで「いいよ~」と勢いでクラブへ入り大学卒業までサッカーを続けましたね。
実は、小学校の時は、将来は野球選手か社長になることが夢でした。というか、祖父が貸農園業、父が中古車販売会社の社長をしていましたので、社長はなりたいというより、自然となるもの思っていました。
ーフットサルに興味を持ったのはいつからですか?
フットサルに興味を持ったのは、大学3年生のときに当時流行っていた『mixi』で出会った女の子に『個サル(誰でも気軽に参加できるフットサルイベント)』に誘われて参加したことがきっかけですね。
その子に何度か連れて行ってもらいましたが、そこのフットサルコートがペスカドーラ(中井さんが所属していたフットサルチーム)の練習場だったんです。サッカーとはまた違ってすごく楽しくて、毎週月曜にある部活のオフ日になると、そこに通いました。
ーフットサルに出会うきっかけが中井さんらしい(笑)本格的にフットサルを始めたのはいつからですか?
個サルに参加し続けているうちに、ペスカドーラのセレクションがあることを知って参加しました。いつもは初心者や女性もいるので楽しくやることを心掛けていたましたが、セレクションの当日は今まで培った力を全力でぶつけてやろうと臨みました。
そのセレクション直後にペスカドーラの方から「うちでフットサルをやらないか?」とオファーをいただいたんです。でも、当時は大学3年生で部活動がありました。大学サッカーも途中で投げ出したくなくて「一年間待ってください」と伝えて大学サッカーをやりきり、卒業後にペスカドーラに入団し、フットサルの道へ進みました。
ー大学卒業後に一般企業への就職という選択肢はありましたか?
もちろん就職も考えました。いくつか選択肢がある中で、小さい時からの夢であった「社長」(=家業を継ぐ)になることも考えていました。
でも就活をしている時に、ある社長との面接の中で「サッカーを続けたほうがいいよ」と言われて、世間一般でなく自分に取って選ぶべき道を考えたんです。結果的には、気持ちの整理がついてサッカー(フットサル)の道を選びました。
ー中井さんの就職時期は、リーマンショック(2009)や東日本大震災(2011)が重なり、企業の採用意欲が萎んだ「就活氷河期」だと思います。その中で、フットサルへのチャレンジや自営業など、選択肢がたくさんあることは心の余裕はありましたか?
そうですね。実家の農業があることは安心材料の一つでした。しっかり勉強すれば生活はしていけると考えていたので、選択肢の少なさに悩んでいる人よりは恵まれていました。また、考える時間を十分に確保したことも、思い切って競技を続ける決心ができたポイントだと思います。
新しい道へ
ー中井さんの中で考えて結論が出せたことは大きいですね。フットサルという新たな道はいかがでしたか?
大学卒業してからの半年間は本当に苦しかったですね。「俺、何しているんだろう。身近な先輩や同期はJリーガーや会社員として活躍しているのに。」とずっと思い続けていた半年でした。
生計を自分で立てるために毎日朝から夕方までバイトで、夜に練習という慣れない生活で心身ともに疲れていて。プライベートではシェアハウスに男7人で住みましたが、お互い上手くいかず、喧嘩の日々でストレスが溜まっていました。
あとは、フットサルの環境ですね。フットサルチームではBチームからのスタートでした。
声を掛けていただいた時から1年後に入団しているので、チーム状況が変わって、いつトップチームに上がるかわからない状況の中、サッカーと比べると戦術面で違う事が多くて、入団当初は中々なじめず自分より若い子に白い目で見られることもありました。
ある程度のサッカースキルは自分の中ではあるつもりだったので、「俺、もっとできるはずなのに」ともどかしさがありましたね。
加えて、父親が亡くなりました。
最後はフットサルをやる僕をすごく応援してくれていました。そのように当時は辛いことが重なった時期で、人生の中で一番辛かったです。
ーその時はフットサルを止めようと、企業へ就職しようとは思わなかったですか?
正直、その時少しだけ思いました。
でも、「フットサルがうまくなりたい」、「もっと活躍したい」、「素晴らしい選手になって自慢の息子になりたい」という気持ちで1年間でAチームに上がることができました。辛い半年間があったからこそ、這い上がることができましたし、今の自分があると思っています。
事業家、中井健介の誕生
ー中井さんはフットサル選手でありながら事業家としての顔もお持ちです。事業を始めようと思ったきっかけを教えてください。
Webショップを無料で作れるサイトがあったので「やってみようかな」と思って、野菜の通販をスタートしたことですね。母と兄に協力してもらいながら、実家で作っているお米と野菜を販売しました。ただ、野菜販売が難しくて、時期によって旬な野菜が手に入らないことや痛みやすいこともあって正直、注文が入る度にバタバタと苦戦していました。
そんな時に、チームのメインスポンサーのイーグル建創さんから「お米のプレゼント企画をやりたいから協力してくれないか」というお話をいただきました。そこで試合会場で物販ができるかを相談したところ「OK」をいただけました。
実家で作っている野菜の中で特に生産量が多いのがお米とサツマイモだったことと、よく栄養士に「干し芋は栄養が多いから、食べなさい」と言われていたこともあり、まず芋で何かできないかと考え、焼き芋の販売を挑戦しようと思いました。
ー試合会場であればファンの方も興味を持ちますからね。実際に販売してみて反応はどうでしたか?
結果的に一日100個の焼き芋を販売することができて、ファンも喜んでくれたのでとても満足しました。その後の販売も売れ行きは良かったです。
ー初めての取り組みで100個完売はすごいですね。
ただ、焼き芋は季節物なので年間を通して販売することが難しいので困っていたんです。新しい商品を考えていたところ、チームスポンサーのフットサルステージ社長・山田さんのご紹介で、甘酒を作っているスカルペクツの山崎あやのさんをご紹介していただきました。僕の取り組みや実家のお米について話したところ「中井家のお米で甘酒を作ろう」と協力してくれました。
甘酒は健康に疲労回復に良い飲み物なので、スポーツのイメージには適していました。試合会場で夏は凍らせた甘酒にマンゴージュースを混ぜた『フローズン甘酒』、冬はココアを混ぜた『ココア甘酒』として販売したところ大好評でしたよ。
事業家としてのチャレンジ
ー中井さんが考える商品はとても興味深いです。いろいろな取り組みをしていらっしゃいますよね。
少しずつ新しいチャレンジをしていった感じです。基本的には試合会場で販売を行っていて、Webショップは定期購入と時々注文が入るくらいで、利益が生活費とか給料にできるくらいではなくて事業としては小規模のものでした。
2016シーズンは「焼き芋」、2017シーズンは「甘酒」。そして、2018シーズンは新しく「干し芋」を販売しました。甘酒作成に協力してくれた方が、甘酒作りを一旦お休みすることになって「2018年はどうしよう」と悩んでいた時に、たまたま、mixiを開いたら、以前に農業コミュニティに入っていてらしく、そこに町田で農家をやっている島野農園・島野さんが投稿していたんです。
ーまさかの、またmixiですか!(笑)
びっくりしました。本当にたまたまです!早速DMを送ってみましたが、島野農園・島野さんと連絡がとれたのが半年後でした。連絡が取れたので一緒に食事へ行きました。僕の取り組みを説明すると「若い男同士、共に盛り上げよう」ということで事業を一緒にやっていこうということになり、2018年は干し芋にチャレンジしました。
ー中井さんの取り組みは、チームや農家さんの協力があったからこそできることですよね。
そうですね。出会う人に本当に恵まれていると思います。とくにチームの協力は大きかったですね。基本的には制約が多いチームが大半ですから、物販の進め方もペスカドーラのスタッフに相談しながら、可能な範囲でやらせてもらえていました。この経験はすごくプラスになっていると思います。
ーお人柄や溢れるエネルギーを感じたんでしょうね。こういった中井さんの取り組みは、間近で見ている後輩にも影響を与えていると思いますか?
影響を与えられているかはわかりませんが、僕を見て「いろんなことができるんだな」と感じてやってみようと思ってもらえたら良いです。
昔だったらツイートなど個人での情報を発信することが難しかった部分がありますが、今は後輩たちも積極的に情報を発信しています。僕も滝田選手(元フットサル日本代表キャプテン)に自分の中で正しいと思うことを発信していくことなど、いろいろと教えていただきました。スポーツの世界は意外と閉ざされた世界だと思うので、もっと広く情報を発信していくべきだと僕は思いますよ。
デュアルキャリアとして
ー事業家として活動されたことで競技への考え方は変わりましたか?
それまでに比べて、本当にお客さんを楽しませているのか、感動を与えているのかを考えることが増えました。
2,000円のチケットで試合を見に来てくれている人に対し、ちゃんと2,000円以上の価値を感じてもらえているのか、僕のプレーで感動を提供できているのかと。僕なりに選手をもっと身近な存在として感じてもらえるように積極的にSNSで情報を発信して、試合の当日をもっと楽しんでもらえるように行動するようになりました。
あとは、スポンサーに対しての考え方も変わりました。金銭提供以外にも、物品提供いただいた商品であれば、商品製作に必要なお金や関わった人たちの努力がありますし、提供いただいた背景には僕に対する期待があります。
提供いただいたからには、その商品の値段以上に活躍しなければならないし、今サポートをしてもらっている「TresJapan」さんや、「アスレタ」さんに感謝の気持ちを持ってプレーしています。他の選手も何のために自分が支援されているのかを考えて、スポンサー契約を結ぶべきだと思います。
ー少し話題を変えますね。中井さんはフットサルに対し、何か課題を感じていますか?
観客動員数が伸びないことですかね。会場へ足を運んでくれるファンが増えれば選手たちの力になりますし、スピード感あふれるフットサルの魅力や会場の熱気など雰囲気を感じられるので、サポーターやファンももっと楽しめると思います。
あとは、プロ選手が1人でも増えてほしいですし、自分がやり甲斐をもって取り組める仕事ができる人が増えてほしいです。フットサルスクールをやり甲斐と感じてやっている人もいますし、自分のスクールを立ち上げる人も増えてきました。最近はスポンサーさんのところで働かせてもらうパターンもあり、そこでやり甲斐を感じることができればまた素晴らしいと思います。もちろん、まだまだ難しい部分も多いと思いますが。
ーその中でもプロ選手として生活できる方はどれくらいいますか?
確かではありませんが、リーグに所属する2〜3割くらいの選手だと思います。1チーム20人だとして・・・・・・50人ほどがフットサルだけで生活できるくらいの報酬をもらっているのではないでしょうか。
ーサッカーと比べると少ないですね。多くの選手がデュアルキャリア(仕事と競技の両立)をされているんですね。
最近僕が感じているのは、働いた方が自分のためになると思っています。
働くことでお金の価値やコミュニケーション力、ビジネススキルなどを学べるので、自分自身を成長させることができますよね。
引退後や他にやりたいことができた時に、次のステップへよりスムーズに移ることができるという点でも有利です。結果的に、スポーツにも良い影響が出ると思いますし。フットサル以外の時間を過ごす事が重要だと感じます。
ー社会人として必要なことを学ぶことができますよね。サッカーやフットサル出身で、今後活躍する人をさらに増やすために中井さんが現在考えていることはありますか?
一つのアイデアとして、もっと自分で稼げる環境を作ることができればいいと考えています。今、競技者がストレスを感じているのが、「スポーツをやりたいけど、生活ができない状況があること」だと思っています。
逆転の発想として、お金があればスポーツに打ち込む時間が増えるということですよね。自分でお金を生み出すことができれば、スポーツに打ち込む時間だって自由に作れるし、極端な話、パートナーとしてチームや選手をサポートすることもできると思うんですね。
例えば、選手はもっとお金が欲しいと考えていますが、チームが持つお金は限られている。だからチームはスポンサー獲得の営業やイベントなど行い、チームの収入を増やす努力をしていると思うんです。そこにぼくら選手が、より協力体制が取れるようになればできるようになれば、チームの運営費を潤沢にすることができると思います。選手たちの環境はもっと良くなりますし、ファンのために還元できることも増える。そうすればフットサル界全体がもっと盛り上がると思います。
僕自身、チームへもっと恩返しをしたいと考えています。ペスカドーラにはとても感謝しています。フットサルはもちろん、中井農園にも協力していただけました。少し発想を変えて行動すれば、自分自身や周りの環境を変えることができると思います。
ー残り2つ質問させてください。1つ目、中井さんの今後の展望を教えていただけますか?
もう一度サッカーへチャレンジしたいと考えています。今までフットサルで学んだことを活かして、サッカー界でどれだけ自分が活躍できるのかを試してみたいんです。年齢も29歳で、一番体が動く時ですし、僕がチャレンジしている姿を見て、多くの人に勇気を与えたいと思っています。
事業家としては、もっと多くの方へ僕の気持ちが届くような事業を確立させたいと思っています。そのために、協力してくれる仲間を増やしていきたいですし、仲間やお客さんと一緒に何か作り出せるような事業をしていきたいです。
もう1つ、人と人を繋げるようなことをしたいですね。僕の強みはいろんな人と巡り合えたことだと思っています。悩みや課題を持っている人へ人をつないで「輪」を大きくしていきたいです。