名将とのエピソードと選手との思い出を語る ~元侍JAPAN内野守備走塁コーチ 高代延博~
GUEST:高代延博(たかしろ のぶひろ)
元プロ野球選手、プロ野球コーチ。「日本一の三塁ベースコーチ」と呼ばれ、数々のプロ野球チームやWBC日本代表侍JAPANのコーチとして活躍。
【選手歴】
智辯学園高等学校
法政大学
東芝
日本ハムファイターズ (1979 - 1988)
広島東洋カープ (1989)
【コーチ歴】
広島東洋カープ (1990 - 1998)
中日ドラゴンズ (1999 - 2001)
日本ハムファイターズ (2002)
千葉ロッテマリーンズ (2003)
中日ドラゴンズ (2004 - 2008)
野球日本代表 (2009)
ハンファ・イーグルス (2010)
オリックス・バファローズ (2011 - 2012)
野球日本代表 (2013)
阪神タイガース (2014 - 2020)
プロ野球チームやWBC日本代表侍JAPANのコーチとして活躍された高代さん。テレビでは語られない、日の丸を背負い戦う選手の姿をお聞きしました。
※本記事はnote移行前の旧SPODGEで2021年6月21日に掲載した記事になります。
名将の共通点とは?
ー高代さんはコーチとして様々なチームで指導されました。そして、色々な監督に仕えてこられた中で、結果が出ている監督に共通するものはありましたか?
監督がコーチ・選手・スタッフに対して明確な指針を示し、それが浸透したチームは結果を残したと感じています。
私のコーチとしての考えは、「選手を成長させ、監督へ渡すこと」だと考えています。
プロ野球の世界では、監督が選手を直接指導することはほとんどありません。
私の場合、監督にコーチが指導する環境を整えていただきました。
私は選手を引退してコーチになる時に決意したことがあります。それは「コーチ」としての指導力や手腕を評価され、どんな監督やチームからも必要とされるコーチになることです。そういった想いを持ってコーチ人生がスタートしました。
同じユニホームを着ることはなかったですが故野村克也氏から「日本一の3塁ベースコーチ」と呼ばれていることをお聞きしました。評価していただいていることへの喜びと、感謝の気持ちがありました。
また、南海(現:福岡ソフトバンクホークス)の鶴岡一人監督に「高代、お前は桐のタンスになれ」と言われたことを今でも覚えています。
引き出しを一つ締めたら一つが空気で手前に出て来る、押してダメなら引いてみる、といった引き出しをたくさん持ったコーチになれよということを言って頂きました。
ー印象に残る監督(リーダー)とのエピソードを是非教えて下さい。
星野仙一監督とのエピソードで忘れられないことがあります。当時の投手コーチはミスターサブマリンの山田久志さん。現役時代200勝以上した大投手で年齢も先輩です。
投手と内野手の連係プレーの時に山田さんと意見がぶつかる時がありました。内野守備走塁コーチとして私も意見はきちんと伝えないといけないと思い、お伝えさせて頂きました。
その光景を見ていた星野さんから、「あとで監督室へ来い」と言われました。
何を言われるかと思って監督室に入ると星野さんから「高代、悔しいだろ?でも絶対退いたらあかんぞ!戦え!お前の姿を内野手全員が見とるぞ。もしお前が退くならお前をクビにする。山田もお前も俺がコーチにしたんや、なんかあったら俺が責任を取る、だから絶対に退いたらあかんぞ」と言われました。とても心強い言葉でしたね。
人間の心理を理解いただいているという表現が正しいかわかりませんが、「人間、星野仙一」を感じました。
また、WBCのコーチの際、原監督から「野手の練習は高代さんを中心に進めてください」と言われました。やりやすかったですよ。
企業でも同じではないかと思います。コーチというのは会社で言えば中間管理職だと思います。中間管理職が仕事をしやすい環境をつくるのがその上席の仕事だと思いますね。
原監督も目配り・気配りのできる人格者でした。
タイプは全く違いますが、落合博満監督との経験も私の財産です。
中日の優勝に携われたことは私のコーチ歴の中でも印象深く残っている一つです。とにかく『勝負』に対して厳しい方でした。タイプは違いますが、落合さんと星野さんの共通点は「自分がこうする」と決めたことを貫いていたと思います。
途中で気持ちが屈曲しない。最後まで取り組む姿勢がすごかったです。マスコミが何を言おうが落合さんはいつもの口調で「言わせとけ」で終わりでした笑
落合監督は就任当時、他の球団でコーチを務めている人を引き抜いたりせず、12球団でコーチをしていない人をチームに呼ぶと決めておられました。選手を育成すれば必ず勝てると考え、選手の補強は一切なしです。
当時の中日は練習量が驚くほど多く、8勤1休のスケジュールでした。練習メニューを組み、落合さんへ伝えると「好きにすればいい」とコーチに任せていただけました。
練習量が多いので、コーチの負担も大きかったと感じましたね。一日4時間のノックで3,000本ぐらい打った日もありました。落合さんはそのタイミングで「次の休みは、トレーナールームはコーチが使う日だ」と気遣っていただきました。本当に人をよく観ている人だと思いました。
しっかりと選手を指導すれば道は開けると改めて確信できた、思い出深い優勝でしたね。
日本一のコーチを目指すために
ー高代さんが野球(競技)を深めなければいけないと感じた出来事はあったのでしょうか?
コーチとして活動を始めた1990年は山本浩二監督(広島カープ)のもとで指導に携わりました。山本さんは我々コーチや選手に対して厳しい方で、コーチになりたてだったこともあり目の前のことに取り組むことが精一杯だったと記憶しています。
その中で、2軍で指導をしたことがあります。当時の2軍監督は三村敏之監督でした。三村さんからは「私に相談しなくていいから、自分で判断して好きにやりなさい」と言われた時がありました。この言葉がコーチとして目覚めた時だと思います。
自分が野球への理解を深め、指導者として勉強し成長し続けない限り選手たちの成長はないと感じました。この半年間は濃かったです。
選手自らが考え、練習に集中する為の環境づくり、選手の考えを尊重したうえでの指導を意識して取り組んできました。
現役時代、私はプロの中では一流と言われる選手にはなれませんでした。だからこそ、コーチとして日本一になることを目標としました。
また、人間性の成長や物事の伝え方など、野球以外のことを中心に勉強をしました。時代や選手が変わることで、同じ言葉でも選手の受け取り方が変わります。自分が学んだことを塗り絵のようにそっくりそのまま指導するようでは伝わらないですし、時代の変化に伴う指導が必要だと考えました。
ー高代さんが意識的に取り組んでいることはあるのでしょうか?
私は役職が上の方には全て敬語で会話をします。年齢は関係ありません。
広島時代にコーチと選手の関係だった金本知憲氏が阪神の監督になった時に、「敬語は辞めてください」と言って来ましたが、「それはダメだ、監督は監督、コーチはコーチ」と言いました。
いくら監督から「敬語は辞めて下さい」と言われても、人前で会話をするときは敬語を貫きました。組織の関係が崩れてしまうからです。
その代わり二人の時は良いよということにしました笑
成長する選手の特徴とは?
ー高代さんは侍JAPANのコーチもされました。日本代表として戦った時は、どんな雰囲気での野球でしたか?また、WBC以外でも選手のエピソードを教えて下さい。
日の丸の力はすごいなと感じました。
各チームで活躍する選手たちが勝利のためにワンチームになったと感じましたね。
多くの人の記憶に残るイチロー選手の韓国戦でのセンター前ヒット、ダルビッシュ選手の力投など、選手一人ひとりの活躍と支え合う力が感動を生む結果になったと思います。
あのチームでコーチをすることは喜ばしいことではありますが、プレッシャーもありました。
またプロ野球界のスーパースターに怪我をさせてはいけないという思いもありました。
イチロー選手にノックを打つ時、気を使い、何球か定位置に打ったら福留孝介選手ら、指導したことがある選手達に「高代さん気を遣わなくて良いですよ」と茶化されました笑
彼らは一流の中の一流の集団です。練習も自分たちで積極的に取り組みますし、自分で自分を追い込んでいました。侍JAPANの時は自主練習の時間が多くありました。選手自らが「高代さんノックをお願いします」と言ってきたのですが、「いつまでノックを受けるのだろう」と思うぐらい練習を続けていましたね。向上心・探求心・集中力を全員が兼ね備えていました。
ーこれまで多くの選手を指導されたと思いますが、伸びる選手の特徴はあるのでしょうか?
まず、野球のセンスの有無はほとんど関係ありません。
伸びる選手の特徴は自分の考えに軸があり、基本的な練習を継続する選手だと思います。
一方で、結果をすぐ欲しがり、基本を変えてしまう選手はあまり成果を残すことができなかったと感じています。自分の軸を貫くことが無く、すぐに変化を求めてしまうのが特徴です。
自ら考え取り組む姿勢は非常に大切なことです。最近はYouTubeなど野球の技術向上に向けた動画が多くあります。ただ、基本的な技術を怠り、小手先の技術だけを伸ばしていては大きな成長は見込めません。
これはどの競技でも共通する事だと思います。
基本的な練習を継続すること。これが選手として大きく成長する秘訣だと思います。
イチロー選手や金本知憲選手といったプロ野球界の中でもトッププレーヤーは、自ら考えて練習に取り組み、努力を続けたからこそ偉大な結果を残すことができたと思います。
WBCの時のイチロー選手の練習量には本当に驚きましたね。
誰よりも早くグラウンドに来て、ストレッチして、ボールを打ち込んでいましたし、休日にも関わらず、合宿地と神戸を往復して練習をしていましたから。そして、自分がどんなに不振でも、ベンチから大きな声を出して「チームのため、日本のため」を体現していましたよ。イチロー選手も一番大切にしていたのは基本的な練習です。
小手先のテクニックではなく、あのイチロー選手が自分の打撃不振の時でもベンチでも大きな声を出している姿にこそ学んで欲しいです。特別な言葉ではなくその動作表情がチーム全体をプラスにしたと思います。
基本(当たり前のこと)の重要性を理解してやり続けられる人が、普通では考えられないような領域に行ける人だと思いますね。やっぱり伸びる選手は基本を大切にしていますよ。