ワクワクする人生を求めて ~近畿医療専門学校 理事長 小林英健~
GUEST:小林英健(こばやし ひでたけ)
学校法人近畿医療学園 近畿医療専門学校にて理事長を務める。
銀行員から柔道整復師に転身し、整骨院を開業。
柔道整復師という仕事を一人でも多くの方へ知っていただくべく、近畿医療専門学校を開校。
「すべては患者様のために」という合言葉のもと、柔道整復師の育成に全力で努めている。
近畿医療専門学校
https://www.kinkiisen.ac.jp/
小林整骨院グループ
https://www.seikotsuin-kobayashi.com/
小林英健ドットコム
https://hidetake-kobayashi.com/
生きがいを探し求めていた時期や、柔道整復師としての挫折の経験を経て、専門学校の理事長として活躍される小林さん。その背景には、様々な挑戦がありました。
どのような思いで仕事に取り組んでいたのか、また、挑戦するとは何かをお聞きしました。
※本記事はnote移行前の旧SPODGEで2022年8月31日に掲載した記事になります。
人生の生きがいを求め、柔道整復師の道へ
-銀行員から柔道整復師へ転身されました。転身したきっかけを教えてください。
人には誰にでも、人生のターニングポイントというものがあるものです。
私の場合は大学2年生の心理学の授業でした。「幸福論」という講義で、「幸せとは何か」という内容でした。教授曰く「人は、好きなことをしている時に幸せを感じるものなのです。君たちも、好きなことを見つけ、生きがいを持ちなさい」というものでした。
これを聞いた私は「好きなことが仕事になればずっと幸せでいられる。そんな人生にしたい」と思ったのですが、当時の私はまだ働いた経験がなく、「生きがい」というものがわかりませんでした。
それから私の生きがいと思える仕事探しが始まりました。
当時のサラリーマンは会社の為に尽くす「企業戦士」と呼ばれていたので、普通のサラリーマンでは生きがい探しは難しい。でも公務員だった父は毎日決まった時間に帰宅していました。それならば、早く帰れる公務員になって生きがい探しをしようと公務員試験を受けましたが、そんな甘い気持ちで受けた試験の結果はもちろん全滅…(笑)。
そんなある日、午後3時にシャッターが閉まるお店を見つけました。これなら生きがい探しができそうだと思って、そこに入りました。それは銀行でした。
こうして生きがい探しで銀行に就職したのですが、やはりそこも企業戦士の世界で残業が増えていき、すぐに辞めたくなりました。
外回りの担当地域は東大阪になり、中小企業が密集している地域でした。
そこで私は、お客様である社長さん、所長さんたちとお話しましたが、今の仕事に生きがいを感じている方とはお会いできませんでした。
しかしそんな中、「私の仕事は人から感謝される素晴らしい仕事です」と語る方にお会いしました。
外回りの担当地域は東大阪になり、中小企業が密集している地域で、多くの社長や所長とお話しする機会をいただくことができました。
そんな中、「私の仕事は人から感謝される素晴らしい仕事です」と語る方にお会いしました。
その方は整骨院の院長先生でした。私はとても興味を持ちました。
詳しく話を聞くと、整骨院を開くには専門学校に通って「柔道整復師」という国家資格を取得する必要があることを知りました。
そこで私は1年で銀行を退職し、整骨院の助手をしながら専門学校に通い始めました。
大学の心理学の講義、銀行の外回りで出会った整骨院の先生との出会いが、今の私につながります。
-銀行員から転身するには大きな決意や覚悟が必要だと思います。一歩を踏み出せた理由は何があったのでしょうか?
きっかけをいただいた整骨院の先生のように、人に喜んでいただけることを仕事にしたいという思いが一番の理由です。
銀行の外回りで出会った方々からは仕事の愚痴ばかりを聞きましたが、整骨院の先生だけが仕事のやりがいをワクワク楽しそうにお話してくれました。
また当時、銀行員の給与などの待遇は良かった時代でした。もしこのまま銀行にいたら、そこに安住してしまって生きがい探しへの情熱が薄らいでしまうという恐怖もあり、思いきって退職を決意しました。
当時の私は結婚していて子供もひとりいましたので、両親を含めて周囲は大反対でした。当然ですよね。
しかし妻は私の決意に理解を示してくれて、家族で挑戦の一歩を踏み出したのです。
-専門学校や整骨院での修業を経て独立し、現在は多くの患者さんやアスリートの治療を行っておられますが、アスリートの治療を行うようになったきっかけはあるのでしょうか?
修業時代を振り返れば、とても苦しかったです。
家族3人で、1カ月8万円で生活していました。だから早く独立開業したいという思いで必死でした。
ご存知の通り、柔道整復師には「独立開業権」があります。
国家資格を取得したあと、すぐに整骨院を開業しました。
はじめは小さな整骨院でしたが、患者さんの口コミで来院者が徐々に増え、重い症状の患者さんも来院するようになりました。
ある日、ぎっくり腰の患者さんが来られました。私はカイロプラクティックの技術も習得していましたので、持てる知識と技術を出して精一杯の施術をしたのですが、その夜に症状が悪化したとの連絡がありました。さらにそのような患者さんの事例が2件続いて起こり、私は施術をすることが怖くなってしまいました。
その一件を友人に相談したところ、「すごい先生がいるよ」と紹介されたのが「南條式変形徒手矯正療法」の先生でした。
その先生の治療院には、プロ野球選手や芸能人が通ってくるほどのところでした。
私は入門料金として200万円を支払い、弟子入りしました。それから3年間、自分が院長を務める整骨院の休日である土曜日午後と日曜日に治療院の助手として働き、目の前で患者さんの症状がみるみる改善されていく姿に感動しながら、技術の習得に励んでいました。
そこには3年通い、私はその技術を完全に習得しました。そして自分の整骨院で試したところ、症状が素早く改善される患者さんが増え、気づけば全国から患者さんはもちろん、技術を評価され、身体の不調に悩む数多くのアスリートが集まる整骨院になっていました。
「患者のために」が生きがいに
-振り返れば、たくさんの壁を乗り越えてきたと思います。好きなことを仕事にできたからこそ、続けることができたのでしょうか?
まさにその通りです。
年下の上司、トイレ掃除など、それまでの人生では経験のないことばかりでしたが、好きな仕事だから続けてこられたと思います。まさに私の原点の「幸福論」です。
さらに「すべては患者さんのために」という、私が整骨院開業当初からの一貫した思いがあったからです。
開業後に大金を支払って勉強に励んだのも、その思いに導かれた結果です。
「南條式変形徒手矯正療法」との出会いがなかったら、今の私もありません。
-思い出に残るエピソードはありますか?
今でも鮮明に覚えているのは、整骨院で助手として働いていた時の私の最初の患者さんです。
それは治療院で修業し始めてから2ヶ月あまりの時でした。
新人だった私は、受付業務と電気を当てるための機材の準備が主な仕事でした。
ある日、院長から、膝を傷めている70代の患者さんの施術を行うように指示があったのですが、経験の浅い私は、先輩が行っていた施術を見よう見まねで一生懸命に行いました。
15分くらいの施術を行ったあと、その患者さんから「ずっと施術を受けてきたけど、今日が一番楽になったよ」という言葉をいただきました。その喜んでおられるお顔を見て、本当に嬉しかったです。
私はこの方から、真心に勝る技術はなく、患者さんのために一生懸命に施術をすることが何よりも大切であると学びました。
正しい技術を伝えていくために
-専門学校を設立しようと思った理由を教えてください。
自分が学んだすごい技術をどうしても若者に届けたかったからです。
ある時期にマスコミでは「柔道整復師不要論」や整骨院を「保険の効くマッサージ屋さん」などと揶揄する風潮が起こり始めました。
これはいけない、何とかしなくては、という思いです。
ただ、「マッサージ屋さん」と言われてしまうことも、残念ながら納得できてしまう気持ちがあったのも事実です。
当時の専門学校教育は、国家試験の合格率を競うばかりで、臨床技術を身につけずに卒業し、技術の多くは現場でしか学べない環境でした。
実際私も、開業した当時は電気を当ててマッサージをするしか技術はなく、自然治癒に任せていたのが現実でした。
これでは現場で活躍するまでには相当な時間がかかると感じました。
そこで確かな、しかも即効性のある技術を教え、柔道整復師の必要性、存在感をアピールしたいと考え、学校を設立しました。
-専門学校の理事長として目指すことは何でしょうか?
これまでは、「整骨院を開業したい」という学生が多かったのですが、最近では、スポーツが好きでアスリートやチームを支えるスポーツトレーナーを目指す学生が増えてきました。
こうした学生たちの夢の実現を叶えるために、まず私や学校の指導者が見本となる必要があると思いました。
ある日、大相撲の幕内力士と飲食店で出会い、それがご縁で施術をさせていただきました。
そして私の施術を気に入ってくれて、さらに友人の三役力士の紹介を受け、それを喜んだ力士はプロ野球の一軍選手たちを紹介してくれました。このようにアスリート同士のつながりによって、様々な競技の選手たちに出会うことができました。
とあるアスリートは、小林以外の施術は受けたくないとまで言ってくれました。
ただし、体が資本であるアスリートの多くは、自身が治療を受けていることを隠しますし、厳しいレギュラー争いから、ライバルとなるチームメートにもこの治療は教えないでほしいという方もおられました。
アスリートのことを考え、守秘義務は徹底して守り、即効性のある治療が必要となります。だからこそ、患者さんとも真剣勝負で向き合えます。
このように患者さんと寄り添うことが信頼につながると思います。
-患者さんと向き合う中で特に意識されることはありますか?
患者さんの多くは、いろいろな整骨院、病院に行った後、最後に私の整骨院に来るケースが多いのです。
そういう患者さんには「必ず治ります」と伝え、希望の光を見せるのです。「病は気から」という言葉がありますが、患者さんも「絶対に治る」という気持ちで施術を受ければ、重い症状でも治るんです。
もちろん疑いを持つ患者さんもおられますが、気持ちを前向きにしてさしあげることも、私たち医療人の大切な役割だと思います。
「治る」と言い切り、私も患者さんも本気でぶつかり合うことが大切なことだと思います。
治療以外のことも相談してもらえるような、人間対人間の関係構築が大切です。
ワクワクを求めて
-今のお仕事にたどり着いたのは、チャンスをつかみ、行動に移したからだと思います。新しいことにチャレンジすることの大切さを教えてください。
新しいことを始めるときは、誰にも不安や恐れがあるものです。
そこで一歩を踏み出すのか、その場にとどまるのか。
私は「とにかくやってみよう」と考え、行動しました。何もしないことが一番のリスクだと思いますし、行動すればよくも悪しくも結果が必ず結果が出ます。それが良ければそれでよし、反対に悪ければ改善すればいいのです。
多くの人は、結果を残している人には強い決断力があると思っているようですが、その人も悩んだ末の一歩ですし、多くの壁を乗り越えてきた結果だと思います。
新しいこと、チャレンジすることに、どれだけワクワクできるかが大切なことなのです