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女子プロ野球界のレジェンド。野球に対する熱意、そして、思いとは?

GUEST:小西 美加

京都府出身。投手、右投右打。兄がきっかけで野球をはじめる。「史上初の兄妹野球日本代表」と注目される。また、ベストナインやMVPなど数々の実績をもつ日本女子野球界を代表する投手。


今回は女子プロ野球で活躍される2名にインタビューいたします。

※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2019年2月20日に掲載した記事になります。


ー小西さん本日はよろしくお願いします!!まず、野球を始めたきっかけを教えてください!

小学2年生の冬に兄の野球チームの餅つき大会で雪合戦を行ったときですね。
兄に構ってもらおうと雪合戦に参加したときに少年野球の監督が「あの女の子、良い投げ方やね」と褒められたのを父から聞きました。男の子しか入れないチームでしたが、監督が褒めてしまったので1週間だけ入部することになったことがきっかけです。

1週間後に「野球は今日で終わり」と言われたときに「野球できないなら学校行かない」と言って親を困らせました。グレましたね(笑)親が学校へ行ってほしいからということで監督に交渉して入部しました。

当時は男の中に1人だけ女の子だったので男扱いして欲しかった思いがあります。
一人だけ女の子がいると思われるのが嫌でしたね。また、野球のユニフォームを着ていたら男の子みたいなレッテルがありました。

ー中学校でも野球は続けたいと考えていましたか?

中学校では当然野球ができると思っていました。でも、学校含め周りの野球チームは入部規則に「男子」と書かれていて入部できなかったんです。あとは坊主にしないと選手として認めないとも言われました。トライアウトを受けた時の成績は1番だったんですけどね。

ー野球をしたい女子にとっては厳しい環境だったのですね。

野球部への入部は現実的に厳しいので中学では陸上部へ入部しました。
私の中で硬式野球をやりながら学校の部活は陸上部という理想があったので、陸上で野球に活かせる基礎体力を付けようと思って入部しました。

陸上では短距離、ハードルを専門種目とし、最終的に円盤投げで近畿大会出場手前までいきました。円盤投げでさらに肩が強くなった気がしています。

ー野球のために陸上部へ入部しましたが、野球ができる環境はありましたか?

中学1年生の時に「野球がしたい」と言い続けて、土日の度にボーイズリーグのチームへ、練習や試合の見学に行き続けました。
中学2年生になってやっと練習生として認めていただき入部しました。試合にも出られなくて、練習も制限されていましたが、とにかく野球が好きで、硬式野球がやりたかったです。

ー野球への愛が溢れていますね。高校ではソフトボール部に入部されました。野球からソフトボールに転身した理由は?

中学校3年生の時に兄が通う高校で兄とブルペンでキャッチボールをしていて、気づいたら野球部とソフトボール部50人ぐらいの人だかりができていたのです。「なんで野球習っていない女の子が硬式ボールをバンバン投げてるの?」と驚かれました。

それがキッカケで、陸上部だったのにソフトボール部での推薦をいただきました。
でも、当時は偉そうに断っていて・・・「私がやりたいのは野球です」と。当時、ソフトボールをやる気はなかったのですが、「練習だけでも1回きてよ」と監督や先輩方に言われて体験しにいくと、みんな大歓迎で喜んでもらえました。

初めてでしたが、実際に練習へ参加してみるとソフトボールがおもしろく感じました。

好きなポジションをやっても良いと言われたので、一番遠くに投げられるセンターを選びました。
インターハイ予選だったと思いますが、当時、一番強かった京都西山高校と対戦し、センターからのバックホームまで返球をしてアウトにしたり、チームで唯一ヒットを連発しました。そのおかげで、公立高校から一人だけ、国体の京都選抜に選んでいただき、3年間で2回も出場し、良い経験をさせていただきました。

写真:ご本人提供

ー野球で培った強靭な肩が活かされましたね!その後の進路は?

ソフトボールも良いなと思っていたところ、京都西山高校の監督にソフトボールで龍谷大学短期大学部へ推薦して頂きました。

4番サードで出場した大学選手権では、過去最高の全国3位の結果を収めました。短期大学だったのでチームから離れたくない気持ちが強く、4年制大学へ編入しようと考えていたのですが、資金的に厳しかったので編入はあきらめました。
ちょうど、大学2年の時に女子硬式野球日本代表のセレクションを受けて合格できたので、そのタイミングでソフトボールから野球に戻りました。

ーソフトボール引退後の生活は?

平日はスポーツクラブとレストラン・体育の家庭教師の3ヶ所でアルバイトをして、土日には部員3人からスタートした、女子硬式野球クラブチームBLESSにて野球の練習をしていました。角谷社長(日本女子プロ野球リーグ創設者)がチームの練習を見に来られて、日本女子プロ野球リーグをつくるきっかけになったチームでもあります。

立ち上げ後、ホームページ開設など広報活動をした結果、2年で部員30人ぐらいまで大きくなりました。

ソフトボールをあきらめなければいけない複雑な気持ちを、全て野球にぶつけるようになりました。野球をきっかけに交友関係も拡がったので、今では運命だったと思っています。

ー改めて野球の道が始まったわけですね。今までの女子プロ野球の中で一番印象に残っている試合はありますか?

プロ3年目の大阪ブレイビーハニーズへ移籍した時ですね。シーズン最初は最低のスタートでした。
新しいチームで、監督・コーチは女子野球界に初めて来られた方だったので、不安しかありませんでした。でも、シーズンが終わると結果的には優勝していました。チーム内の仲間割れとか揉め事もたくさんありましたが、最後は全部報われたシーズンだと思いました。

最後の試合も劇的だったことを覚えています。6回に自らホームランを打って逆転して、優勝が決まったかのように嬉しくて、初めてプレー中に泣きました。
しかし、私がフォアボールを出してまた逆転されて・・・2,3点差を離されました。でも、チームメイトが頑張ってくれて同点まで追いついて、2アウト満塁。最終バッターは私。そして、さよならデッドボール・・・で優勝(笑)笑いあり、涙あり、最後のオチもある今までで1番忘れられない試合ですね。

ー本当に劇的!!素晴らしいシーズンですね。小西さんは日本代表に何度も選抜されていますよね。海外のチームと対戦したときに何か感じるものはありましたか?

初めて世界大会へ出場したのが富山県で行われた『第4回女子野球世界大会』です。結果は優勝で、決勝のアメリカ戦でも投げさせていただきました。
外国人との試合は面白かったですね。特に野球文化の違いに。身体能力の違いやボールの扱い方など、日本人から見ると学んできた形ではないのに、なぜか成立していると感じました。新しい野球を勉強させてもらいました。

ー他に海外と日本の女子野球の違いはありますか?

考え方ですかね。日本は戦術的に考えます。みんなが同じ動作ができて当たり前。だから、「〇〇のサインを使いましょう」という考えが多いですけど、外国のチームは「みんなが打つだろう」とか「パワーで押し込んでいこう」という感じですね。

また、目つきが全く違い、国を代表して戦いに来ているという雰囲気の差を感じました。

ーなるほど。国を背負う気持ちですか。小西さんも感じていらっしゃったのでは?

私は野球以外のことも考えていました。

台湾でのワールドカップの時に決勝戦が8月6日だったのです。国歌を聞いているときに「昔は戦争していた国同士が戦うのか」と考えると複雑な気持ちになりました。野球とはまた違う形で日本人とアメリカ人のつながりを感じましたね。

私が野球を続ける意味にもつながりますが、最終目標は『世界平和』なんです。スポーツを通して世界が平和になれば良いと思っています。言葉は通じないけれど、キャッチボールをすれば自然と心が通じ合えばいいなと。ボールひとつをきっかけに戦争がなくなれば良いと考えています。

写真:ご本人提供

ースポーツが持つ可能性は無限大ですからね。小西さんのメンタル面で大切にされていることはありますか?

知人から紹介してもらった『SBT(スーパーブレイントレーニング)』の一部を行っています。簡単にいうと、プラスの言葉を使うことですね。
いつも使うマイナスな言葉を頭からなくしていくと見えてなかった可能性が見えてきました、不安だったことが確信に変わったような気がします。あとは自分の経験に重ねていく。今では自分なりに子ども達に野球教室で伝えています。

―女子野球界で達成したい今後の目標はありますか?

野球で世界平和ですね。あとは、日本の女子野球を海外へ伝えていきたいです。日本の女子野球は世界的にもトップにいると思います。選手や指導者が世界で活躍して、理想は女子野球のワールドカップで各国代表の監督やコーチに日本人がいることですね。

―小西さんが感じるスポーツを経験してよかったことはありますか?

体育会での経験は、どんな波がきても乗り越えられる強さを持っていると思います。本当に会社が困った時に会社を救うような人は体育会の人のような気がします。心と心でつながることができる人間力をもった人が多いからですかね。

ー今シーズンの抱負をお願いします!

女子プロ野球リーグ10年目という節目のシーズンなので、今までの経験を全て形にしていきたいと思います。

投手としては、リーグトップの数字を狙っています。他にも、野手としても常にどこでも出場できるよう準備することで、チームの若手選手に安心感を与えたいと思っています。

男女の差や、国境のないスポーツとして、どんどん広めていけるよう、今年も最年長として、胸を張ってプレーしますので、ぜひ、たくさんの方に球場へ足を運んでもらいたいと思っています。応援してください!