鹿島アントラーズで学んだことを活かし、次のステージへ。これまでの道のりはそんなに簡単ではなかった。その理由とは!?
GUEST:八木直生
元Jリーガー。鹿島アントラーズでゴールキーパーとして活躍。
今回は、New Balance(以下NB) 所属 元鹿島アントラーズ、八木選手をお招きして、お話を聞きました!元プロサッカー選手ならではご経験や、なぜ今の会社に入社したのかなど、当社の永井が対談させていただき、笑いも交えながら熱く赤裸々に語っていただきました。
※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2018年2月1日に掲載した記事になります。
アントラーズ一筋。プロに至るまでの経歴
ー八木さんがこれまで歩んでこられた、サッカー人生を教えてください。
男3人兄弟でして、兄の影響でサッカーをしていました。小学校6年生時点で180cmあったくらい大きかったですね。
小学校のときは、そこまでサッカー選手になりたいという思いはありませんでした。
身長が大きかったこともあり、県選抜に選ばれるなど、僕を使い続けてもらったからこそ、サッカーを続けられた気はしていますね。
GKトレーニング合宿に参加したのがきっかけでGKというポジションの面白みを知りましたし、もっとうまくなりたいと、思うようになりました。
そのタイミングで鹿島アントラーズから声をかけてもらって、ユースに入ることになりました。
高校生になるのと同時に、一人で茨城に移住しました。やはり、アントラーズのユースですから、全国から選手が集まってきました。
身長は一番でしたが、スキル、経験は全く足りていなかったので、死に物狂いで練習に参加していました。気づけば、高校3年生ときに、年代別の日本代表に選んでいただいたり、ACLのメンバーにも選ばれたりと、結果が後からついてきた、そんな感覚でした。
こうなりたいという風に目指したのではなくて、目の前のことをコツコツやっていたら結果がついてきましたね。そんな風な日常を継続していたら、高校3年生の12月に正式にプロ契約をすることになりました。
ープロ当時はどんな方と一緒にプレーをされていたんですか?
GKでは、曽ヶ端選手などと一緒にプレーをしていました。私含めてGKは4人いて、私は4番手の選手でした。現役時代は4年半で終えましたが、メディカルチェックで引っかかる前は一度も試合に出ることなかったですね。
プロ生活は本当にあっという間の期間でした。
ープロサッカー選手として続けていくには、トレーニングにしても好きでないとうまくいかないですよね。GKは相当トレーニングもきついのでは?
そうですね。自分が変態じゃないと続かないと思います笑
突然の宣告。コーチという選択も複雑な心境だった。
ー引退の要因にもなったメディカルチェックの判定内容は、具体的にどんな状態でしたか?
心臓の大動脈が広がって、血が逆流してしまうものでした。あまり心臓に負荷をかけることはできないということで、手術はしたものの、サッカーという激しい運動することは、心臓に負荷をかけることになるので、引退せざるを得ない状態でした。
ー告知受けたときの率直な心境は?
無でしたね。考えたくない、っていうのが本音ですね。
今まで、サッカーしかやってこなかったので、サッカーをできなくなるのが考えられなかったですね。当時たまたまテレビで見た「病気で選手を続けられない」というエピソードがあったんですけど、まさか自分が同じようにそうなるとは思っていなかったですね。受け入れられないというのが正直な気持ちでした。
ー無という感情の次にはどのような感情でしたか?
アントラーズというクラブにお世話になった人間だったので、選手以外で恩返しをしたいという気持ちが次に沸いてきました。コーチをするという考えもありましたが、正直サッカーにも未練があったので、割り切ってできない感じもしていました。当時は、悔しさ半分、恩返ししたい気持ち半分な気持ちでしたね。
ー球団で仕事ができていたのも、何かしらの功績があったからではないですか?
ファンやクラブに愛されていたことが大きかったと思います。
クラブに拾ってもらったこのご縁を大切にしないといけないということを感じましたし、アントラーズに働くことができたことはやりがいにもつながりました。
ーコーチは何年くらいやりましたか?
2年半くらいですね。鹿島アントラーズのスクールの運営をしたり、幼稚園~中学校を見たりしていました。中学校では、GKスクールの担当もしていました。
その後はアントラーズのジュニアをみていました。そこでは、1年間の指導者生活をしていましたがその期間非常に濃かったです。
ー待遇面はどうでしたか?
正直、結構きつかったですね。特に1年目は、トップチームからいきなり変わって、こんなにも変わるのかということを、感じていました。変わるとはもちろん感じてはいたものの、実際は結構きつかったですね。
ーそれでもチームに残れて幸せと捉える人はいらっしゃいますか?
いると思います。やりたくても鹿島アントラーズのコーチになれる人はなかなかいないので、日本で数人しかいないポジションをできるというのはかなり価値があったという人はいましたし、私自身もそう思っていましたね。
さらなる挑戦へ
ーそれでも、コーチから次のステップへ行かれるタイミングではどんなことを考えていましたか?
将来を考えたときに、いろんなことをしたいなと考えていました。
もちろんクラブに対して恩返しをしていきたいという思いもありましたが、当時23歳で、社会に出てもっと色々な経験をしたい、さらに他の可能性もあるんじゃないか、ということも感じていました。そんな時に東京で参加した講演会で出会ったのが、ニューバランスの上司でした。
ーまさにご縁ですね。入社までのステップは?
面接して、通常の一般採用と同じ形で面接をしていました。サッカーの話はあまりしなかったですね。
私が、このNBに入社することで、新しいスポーツの風を吹き込むという意図はあったのではないかとかんじていますね。
ー今は主に、営業と講演をしていると伺いました。
高校生に対して講演活動を行ったり、サッカーに対しての想いを伝える機会をいただいています。高校生に対しては、サッカー選手になるためにということだけでなく、キャリアを考えるという観点で話をしていますね。
ー現役時代にセカンドキャリアについては考えていましたか?
あんまりなかったですね。
きらびやかな世界でやっているという意識が多かったので、社会を知らなすぎたという観点はありましたね。
それこそ、今、いろいろとご指導をいただきますが、この状況を受け入れるのか、廃れていくのかで決まってきますよね。プライドを捨ててでも、今を生きることが大切だと感じています。
ーもっと社会にスポーツの価値を感じて、正当に評価してほしいと思っています。セカンドキャリアのロールモデルとして八木さんには活躍して欲しいです。
ありがとうございます。
挑戦は何事にも大事ですからね。プライベートはもっと挑戦していきたいです。子どもに挑戦しろといっていながらも、自分ができていないと示しがつかないですからね。
No,1を目指し、目標の実現へ。
ーこの先、NBの中でやりたいこと、描いていることは?
短期的には、今の営業職として、自分の担当する店を持ちながら、チームに入っていくのが一番いいですね。地域貢献も視野にいれながら、担当するお客様のために活動していきたいです。
中期的にはものづくりもしてみたいですね、NBの靴等を作ってみたいです。他部署も含めて経験してみたいと感じています。もちろん今の仕事で、成績を残してからと感じていますが。最終的には負けず嫌いなので、No,1になっていきたいですね。
ー役職、昇格含めて1番になりたいと。
そうですね、挑戦し続ける時間を過ごしたいですね!
ちなみに、商品を説明しながら、お客様とともに挑戦することはとても貴重な時間で大切にしている時間です。
ートップになれる、なれないは別として、「なりたい!」という気持ちですね。様々なことにチャレンジして活動していきたいと思っています。自分にできることを増やしていきたいですね。
そうですね!これからもともに、チャレンジしていきたいですね!