見出し画像

自分の将来を考えることこそ、全力で競技に向き合える秘訣 ~元Jリーガー 田中輝希~

GUEST:田中輝希(たなかてるき)

元サッカー選手。
高校時代の試合をきっかけにプロスカウトの目に留まり、高校卒業後、名古屋グランパスに所属。
2011年から2021年までプロ選手として活動。J1から地域リーグまで幅広いカテゴリーで活躍し、2022年4月惜しまれながらも引退。
現在は、大手保険代理店の営業担当として、セカンドキャリアを歩んでいる。

【経歴】
志村東ジュニア(板橋)
三菱養和S.C.ユース
2011-2015 名古屋グランパス
2014 →大分トリニータ (loan)
2016-2017 V・ファーレン長崎
2018 おこしやす京都AC
2019-2021 栃木シティFC


高卒でJリーグの世界へ飛び込み、日本トップレベルで活躍。その後、J2や地域リーグのチームへ移籍し活躍した田中さん。2022年4月に引退を決意した。
プロ選手として活躍する中、どのような思いでサッカーに取り組んでいたのか。また、チーム移籍に対する葛藤、引退を決意した理由、キャリアに対する考えなどをお聞きしました。

※本記事はnote移行前の旧SPODGEで2022年11月18日に掲載した記事になります。


1試合でつかんだプロ選手への道


-Jリーガーとして活躍された田中さんですが、実際にプロになれる手ごたえを感じたのでしょうか?

実は、幼少期はプロ野球選手になることが夢で、友人と集まって遊ぶ時は野球をやっていました。
そんな中、友人に誘われ、志村東ジュニアというチームに入りました。サッカーが楽しく、野球少年からサッカー少年に変わりました。

そして、中学生になり、志村東ジュニアと三菱養和という2つのチームを掛け持ちし、高校からは三菱養和でサッカーに取り組んでいました。

私がプロ選手を意識し始めたのは、高校1年生の時でした。
夏のクラブ選手権に1年生ながら出場することができ、対戦相手は日本代表で活躍した原口元気選手や高橋峻希選手が所属する浦和レッズユースが対戦相手でした。
強豪との試合で、個人技で点を獲得することができ、その姿がスカウトの目に留まったようでした。

この1試合をきっかけに私の人生が大きく変わり始めました。

ーいくつものチームから声がかかったと思います。進路先に名古屋グランパスを選択した理由について教えてください。

浦和レッズとの試合をきっかけに、Jリーグの数チームからお声がけいただきました。その中で、名古屋グランパスに決めたのは「自分に合っている」と率直に感じたからです。

また、当時スカウトを担当していた方の人間力に惹かれましたことも決め手の一つです。

高校2年生の時、股関節をケガしてしまい、1年間サッカーができない時期がありました。プロへ行けると思っていた矢先の出来事でしたし、今後オファーが来るのかという不安に押しつぶされそうになりました。

苦しい時を支えてくれたのが名古屋グランパスのスカウトの方でした。
リハビリ場に足を運んでいただき、一生懸命に応援してくれました。弱音を吐いたときは叱ってくれる、いつも本気で私にぶつかってくれる熱い人でした。
心のよりどころです。

私のことをこんなにも大切にしてくれる人がいると感じましたし、「この人のために」という思いが芽生えた瞬間でした。

写真:N.G.E(本人からご提供いただきました)

ープロ選手としての初デビューは覚えていますか?

はっきりと覚えています!
何かの縁があるのか、プロデビュー戦も浦和レッズとのゲームでした。
レッズのホームである埼玉スタジアムで約6万人の観客に注目されながらの試合です。当時は緊張というよりもワクワクするような高揚感がありました。

そして、マッチアップした選手も高校1年の時と同様に高橋峻希選手でした。高校時代はいい勝負ができていたのですが、プロデビュー戦では一度も抜くことができませんでした。
高橋選手は2歳年上なので、先にプロになったのですが、高校上がりとプロとの差を肌で感じました。

プロの世界はどんな状況であれ、結果を残さなければいけません。爪痕を残さないとプロの世界に押しつぶされてしまうと恐怖したことも覚えています。


プロとしての葛藤や想い


ー名古屋グランパス以外にも、複数チームでご活躍されました。中でも、Jリーグチームから社会人チームへ移籍する時は色々な葛藤があったと思います。

名古屋グランパスで3年間過ごした中、大分トリニータにレンタル移籍し1年間プレーし、名古屋グランパスとの契約が終わり、V・ファーレン長崎へ移籍し、2年間過ごしました。

そして、Jリーグ参入を目指す社会人サッカークラブで関西リーグ1部に所属するおこしやす京都ACで1年間プレーし、最後は社会人サッカークラブ栃木シティで3年間プレーしました。

正直なところ、おこしやす京都ACへ移籍をするときは、とても悩みましたね。理由は、Jリーグというカテゴリーから社会人というカテゴリーへの移籍について、自分の中で受け入れるまで時間が掛かりました。

長崎を離れるときは、J2かJ3のチームに移籍できると思っていました。
ただ、移籍先が決まらず、自分の中の思いだけが先行していました。最後までJ2、J3チームのトライアウトを受けましたが良い返事がもらえず、気づけばシーズンが始まっていました。
その中で、おこしやす京都ACから声を掛けていただきました。
Jリーグでプレーしたいという気持ちを切り替えるまで、返答まで1か月掛かりましたね。

ーこれまでプロ選手として過ごした中で、一番の挫折はありますか?

私は挫折したと思ったことはありません。性格の問題なのでしょうか(笑)

ただ、毎年「来年もサッカーができるかな」というプロの厳しさや不安に向き合うことは多かったと思います。
個人的には、不安などの壁は乗り越えたいというポジティブな気持ちでしたし、乗り越えようと必死に努力していました。

-先日選手を引退されました。田中さんが引退を考えたきっかけを教えてください

引退は自分自身で考えた決断でした。

高卒でプロ入りしたときは、「Jリーグで活躍し日本代表に選ばれ、W杯で活躍する。そして、海外でプレーする」という目標を持っていました。

ただ、栃木シティに所属していた時の目標はJFL(Jリーグと地域リーグの間のカテゴリに位置するリーグ)を目指すことに変わっていました。
また、自分のプレーを俯瞰して見たときに、キレのあるプレーができなくなっていることに気づきました。

自分がJ1の最高峰のプレーを知っていたため、今の自分のプレーとのギャップができてしまい、納得のいくサッカーができなくなったことが、引退の大きな要因です。

「努力すればまだ日本のトップを目指せるかもしれない」と言われました。自分の中でも「まだできる」と思う反面、「努力だけではどうにもならない」ということも薄々感じていました。

そして、2021年12月に栃木シティの契約満了を迎えました。幸いなことに色々なチームからオファーをいただき、現役を続行するか、本当に考えました。

ただ、自分の中では良いタイミングだと思い、2022年4月に引退をしました。


アスリート時代に将来と向き合う


ー現役時代はキャリア(仕事)について考えていたのでしょうか?

なかなか考えられませんでした。特にJリーグに所属しているときは一切考えていませんでした。当時の私は自信満々にプレーしてましたし、サッカーに必死で取り組むことに精一杯でした。
今思えば、もっと早くキャリアのことを考えるべきだったと思います。

引退後のキャリアを考え始めたのは栃木シティで2年目の時、当時28歳でした。
どんなに練習やサッカーに費やしても1日数時間の空き時間があります。その時間を活用して何かできないかと思い、教員免許を取得するために、通信制の大学に通い始めました。

ー引退後、現在はどのようなお仕事をしてらっしゃるのでしょうか?

現在は、大手生命保険会社の営業として働いています。

教員の道など、様々なセカンドキャリアの道がありましたが、保険の営業を選んだ理由があります。

私が現役中に母がガンを患い、闘病生活を5年くらい過ごしました。無事、病気を乗り越えた母から「保険に入っていなかったら、ちゃんとした治療が受けられず死んでいたかもしれない」という言葉がありました。

当時の私は「良かったね」と一言返事をしただけでしたが、今の私は母と同じような方を1人でも多く救えるようなサポートをしたいと思いました。

-スポーツと仕事の共通点は感じますか?

「誰かのために」と思えば自然と体が動きます。
サッカーで培った人を思いやる気持ちや仲間のために動くことが今に活きています。

保険の営業は、特に人を思いやらないとできない仕事だと私は思います。正直、保険営業の印象は良いものではありませんでした。
ただ、実際に入社し、先輩の仕事を見ると「お客様の為に」という思いで働く姿を見て自分の選んだ道は間違っていなかったと思っています。

-元アスリートから現役アスリートへメッセージをお願いいたします。

アスリートは感動や勇気、元気を与え、「私も頑張ろう」と思わせることができる素晴らしいことだと思います。

ただ、どんなアスリートでも引退が待っています。

アスリートの生活中に考えることは難しいことですが、今の経験を活かして次に進むための準備で、今後の人生が大きく変わってくると思います。

どんな競技でも自分と競技に向き合い、己を高めていくことは必要です。ですが、一日中練習したり、トレーニングしたりすることはないと思います。

余った時間を将来のために活用することが大切なことだと思います。

将来について向き合うことは大事なことです。
人それぞれやりたいこと、趣味、好きなことが異なります。自分につながるものを調べ、学ぶことが引退後の生活に繋がります。

アスリート経験は本当に貴重なものです。
自分には関係ないと思わずに、将来のことを考えて、未来の子どもたちに自分の経験を伝えていきたいと思いながら、「明日クビになってもいい」と思えるくらい将来について準備し、今取り組む競技に全力を尽くし、チャレンジをしてほしいです。

同じサッカーチーム出身の当社スタッフとの1枚