ビーチフラッグス世界一に聞く、世界一の練習方法 ~ライフセービングビーチフラッグス 堀江星冴~
GUEST:堀江星冴(ほりえしょうご)
ライフセーバー。花形競技であるビーチフラッグス世界ランキング1位(2021年7月現在)。
埼玉県立浦和東高等学校のサッカー部に所属し、国際武道大学への入学を機にライフセーバー競技に出会い、競技を始める。
毎日ひたむきに練習し、白い砂浜が黒くえぐれて”堀江道”と周辺住民に呼ばれるほどの猛特訓を重ね、翌年からはビーチフラッグスのインターカレッジで卒業まで三連覇を重ねる。
現在は、パーソナルトレーナーとして『THE REAL』の経営と競技の両立を行っている。
【ライフセーバー競技成績】
・INTERNATIONAL SURF RESCUE CHALLENGE 3連覇(2015.2017.2019年)
・SANYO CUP 優勝(2019年)
・ALL JAPAN INTER-COLLEGE CHAMPIONSHIP 3連覇(2014.2015.2016年)
・JAPAN BEACH GAMES 優勝(2017年)
・ODAIBA BEACH SPORTS FESTIVAL 優勝(2015年)
※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2021年7月19日に掲載した記事になります。
未知の競技、ライフセービングへチャレンジ
ー堀江さんは大学からライフセービング、ビーチフラッグスを始め、世界ランク1位を獲得しております。サッカーからライフセービングへチャレンジしたきっかけを教えていただけますか?
私は兄の影響で小学2年生からサッカーを始めました。本気でプロサッカー選手を目指し、高校は埼玉県立の強豪である浦和東高校に入学しました。もちろん、大学でもサッカー部に入ることを考えていました。
ライフセービングとの出会いは、大学の各部活動紹介VTRが流れた時でした。「大切な人の命を守れますか?」という言葉と、人命救助の映像が流れました。
その時、小学生の記憶がフラッシュバックしてきました。熱中症で倒れた兄を見て、何もできず、ただ泣いている情けない自分の姿でした。
同時に「サッカーを続けるだけでは大切な人を守ることができない」という想いが溢れ、その瞬間にライフセービングへの道に進むことを決意しました。
ーライフセービングの数ある種目の中から、なぜ、ビーチフラッグスを選んだのでしょうか?
入部した同期よりも少し足が速かったこと、自分の身一つでできるという理由です。
また、サッカーは90分間で得点を競うスポーツだったので、ビーチフラッグスのように一瞬で勝敗がわかるスポーツに魅力を感じました。
実際にやってみてわかったことですが、大会では20mの距離を十数回走ります。また、「0.01秒」が勝敗を分ける世界ですから、集中力を保つために頭が疲れます。
見た目とはちがって、思った以上に頭も身体も使う競技だということがわかりました。
ーまったく新しい競技へ転向することについて、不安はありましたか?
不安はありませんでした。
ただ、ライフセービングを始めた頃は、周りとの差があまりにも大きく、心が折れかけたことを覚えています。
自分の中で「今は能力を高める準備期間だ」と言い聞かせていました。
また、練習を重ねることで自信をつけていくタイプなので、ゆっくり時間を掛けていこうと割り切って取り組んでいました。
ーご家族や高校サッカー部の同期は、ライフセービングへチャレンジすることにどのような反応だったのでしょうか?
誰一人ライフセービングをやることに賛同してくれませんでした。
「今までサッカーを続けてきたのだから、今までどおりサッカーを続けたら」と言われました。
たしかに、サッカーしか経験がないので、ライフセービングという新しい世界に飛び込むことに反対する理由は理解できます。
ただ、「大切な人を守りたい」「人の命を救うために」という強い想いがあったので、ライフセービングの道に進むと決めました。
ボロボロになるまで練習するのは「命を救うため」
ー堀江さんはサッカーの強豪である浦和東高校出身でいらっしゃいます。浦和東高校は自他共に認める厳しい環境だとお聞きしました。高校時代はどのような教えがあったのでしょうか?
浦和東高校の教えで「理不尽、愚直」という精神を学びました。
浦和東高校は県立高校のため、集まる部員が限られています。私立やJリーグの下部組織チームに勝つためには、限りない努力(練習量)が必要になります。練習量、食事量ともに厳しい高校生活を過ごしました。
ただ、浦和東高校の考えや、サッカーに取り組む姿勢に魅力を感じていました。
当時、東京から埼玉へ引っ越しをして入学したくらいですから。
振り返れば、その厳しい環境が自分に一番合っていた環境だったかもしれません。
ーその後、大学でも猛特訓を重ねたとお聞きしました。チーム競技から個人競技へ転向しましたが、練習の取り組み方は変わりましたか?
休みの無い高校時代と比べ、大学では週に何日かオフがありました。授業など時間を調整しながらトレーニングプログラムを計画していました。
チームスポーツから個人スポーツになったことで、自分を見つめ直す時間や、集中してトレーニングをする時間が増えました。充実した日々を過ごせたと思います。
ー練習で意識していることや心掛けていることはありますか?
絶対に悔いを残さないことです。
一日通してボロボロになるまで練習に取り組みます。特に大学時代は、社会人でもライフセービングを続けようと考えていたので「今やらずにいつやるんだ」と、毎日を大切に過ごしていました。トレーニング内容は年齢を重ねるごとに変化していますが、この想いは今も変わらず持っています。
もう一つ意識していることは「救助力」を高めることです。
ビーチフラッグスは競技ですが、ライフセービングの活動は命を守るためにあります。ですから、フラッグ(要救助者)を守った後、その先の一次救命処置を行うこと、救急隊に繋ぐことまでを常に考えています。
不思議なことで、旗の先にある命のことを考えることで体がスムーズに動くようになります。人のため、命を守るためと考えると、体の中から力が湧き出てくる感覚があります。
実際に、世界ランク上位の選手は、救助力の意識が高い選手ばかりです。
私も、国際大会の決勝で命を守るためと考えていたことで、最後の力が湧いてきました。
積み重ねた練習で得た自信と、命を守りたいという信念が、最後の最後で力を与えてくれました。
ライフセーバーのいない海を目指して
ー少し話題を変え、ライフセービングの世界についてお伺いします。まず、ライフセービングの活動とは具体的に何を行うのでしょうか?
ライフセービングは海辺の事故ゼロを目指し活動しています。
ハイシーズンである7月~9月は、朝8時から夕方17時までパトロール活動を行います。ライフセーバーには自分の管轄があり、その海の安全を守っています。私は千葉の勝浦が管轄なので、そこでパトロールを行っています。
具体的には、安心して海水浴を楽しんでいただくために、離岸流の発生や危険箇所が無いかなど、海や浜を全てチェックしています。
ここ10年間のデータですが、交通事故よりも水難事故で亡くなる方が増えています。遊泳区域内の事故だけでなく、区域外の事故も多々あります。
海辺の事故ゼロのために、事故が起こる可能性のあるものを排除していますが、それでも事故が発生してしまう現状があります。
ーライフセーバーの活動は、競技者(アスリート)を超えた存在だと思います。
学生の時は、自分がアスリートと胸を張ることが出来ませんでした。
ライフセービング選手の中では、救助活動を重きに考えている人もいれば、逆に、競技に集中している人もいます。人それぞれ異なる背景や想いがある中で、自分は何を目指しているのか、アスリートなのか、わからなくなる時がありました。
ただ、私の活躍を通じて、ライフセービングの活動を知っていただくキッカケになってほしいと思っています。そして、海の楽しさ、恐ろしさを知るキッカケになれば良いかなと考えています。
今は、競技と救助の活動の両軸を保つことが大切だと捉えているので、胸を張って「自分はアスリートだ」と言えるようになりました。
ー競技のシーズン以外はどのような活動を送っているのですか?
大会が6月、9月~10月にあることが多いです。それ以外の時期はトレーニング期間です。浜へ行くことも少なくなるので、ジムや陸上、プールなどで練習に取り組んでいます。
ーシビアな質問になりますが、ライフセービングの競技や活動だけで生活はできるのでしょうか?
現状は難しいですが、近い未来では、そうならなければいけないと思っています。
プロとして生活ができるような環境を自分がつくる、パイオニアになるんだという気持ちでライフセービングに取り組んでいます。
個人的な考えですが、極論を言うとライフセーバーが活躍しない状態がいいのです。
ライフセービングの活動を普及させることで、海への興味を持つようになります。そして、安全に楽しむために、一人ひとりの意識が変わっていくと思います。
ゆくゆくはライフセーバーが必要のない海にすることが究極の目的だと考えています。
競技としてのライフセービング、救助としてのライフセービング、どちらでも構いません。私たちの活動に興味を持っていただくことが命を守ることに繋がると思い、今も活動に取り組んでいます。
ー最後に、スポーツを頑張る読者の方へメッセージをお願いいたします。
競技は極めれば極めるほど、自分との戦い、孤独との戦いだと思っています。
私も努力が実らない時期がありました。不安でしたし、周りが華やかに見え、孤独感がありました。でも諦めることは絶対しませんでした。自分を信じてトレーニングを続けました。
ですから、諦めることだけはしてほしくないです。
そして、自分が納得するまで自分を追い込み、悔いを残さず練習を重ねてください。いつか絶対に花が開くときが来ます。
これが私の強い願いです。