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楽しむことがアスリートとして強くなる秘訣。

GUEST:中村友梨香

陸上長距離選手。2008年北京オリンピック出場、マラソン13位。2009年以降はマラソンを封印し、駅伝競走・トラックレースをメインに出場。現役引退後は㈱天満屋で一般社員として勤務していたが、2015年に退職。
その後、朝原宣治が主宰する陸上競技クラブ『NOBY T&F CLUB』のコーチとして陸上界に復帰し、ジュニア世代の指導にあたっている。また、追手門学院大学の大学院へ通い社会学を学んでいる。

※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2020年7月27日に掲載した記事になります。



楽しさ・苦しさを知った成長期。

―オリンピアンにまで上り詰めた中村さん。競技人生の中でも、高校生ながらに社会人チームの天満屋へ入部されたことは一つの転換点だとお見受けしました。天満屋入部まではどのような気持ちで陸上をされていたのですか?

今振り返ると理想的な感じで陸上に取り組んでいたと思います。中学生のときは、スポーツ(陸上)の楽しい部分を教えていただきました。体を動かすことなど、楽しむことを優先して指導をいただいたと思っています。また、楽しむ以外の競技者として上を目指す道があることも中学生の時に教えていただきました。

一転して高校時代は高い目標を掲げていたため、上を目指すためには犠牲を払わなければいけないこと、必要最低限のことは自分を律してでもやらないといけないことなど、競技者としての基本的な考えを教えていただきました。正直なところ、高校時代は何度も辞めたいと思いましたね(笑)苦手練習の時はいつも・・・。

年齢的にもまだ若く、楽しいスポーツから競技のスポーツの世界に入ったので大変な時期ではありました。

中学校の先生がとても厳しい方だったら、楽しみ方を知らずに陸上を辞めていたと思いますし、逆に高校の先生が厳しい中にも愛情を持って指導してくれていたから陸上を続けられたと思います。

―中学生や高校生ぐらいから競技者としての心得の両方を知ることが大切だと思いますか?

そうですね。体の成長など考えると中学生時代から厳しいトレーニングなどやり過ぎてしまうといろんな問題も発生するので、高校生ぐらいから競技者としての道を選ぶことがちょうど良いとは思います。今後の進路に向けて、自分で考えて決断できることもできる年齢になってきますし。

―事実、中村さんは高校生になって天満屋の企業チームに入部する決断をしました。その決断にはどのような背景があったのでしょうか?

高校生の時に見ていた、大学女子陸上があまり魅力的に感じていませんでした。
一部の選手はトップで活躍しているのは確かですが、試合を見に行くと高校生が勝ってしまうこともありました。「大学へ行くと、かえって競技レベルが落ちてしまうのでは?」と疑問を持つようになりました。また、当時は大学で学びたいことも見つからなかったため、走ることにチャレンジしてダメだったら大学へ行こうと考えていました。

あと、私の性格上、厳しい環境に身を置かなければいけないタイプだったので社会人チームという選択を選びました。

大会やタイム以外の走る目的をつくる。

―コロナ情勢の影響で大会が中止になり、スポーツを辞めてしまう高校生や大学生もいると思います。

私も引退してから思うようになったのですが、選手の時は自分で立てた高い目標に縛られるところがあったと思います。

例えば、インターハイにすべてを賭けることは、インターハイがなくなった時に全てが終わることになってしまいます。大会に全てを賭けて臨むことはすごく良いことだと思いますし、大会に向かう過程でモチベーションにつながると思いますが、怪我をして出場ができない時や今みたいな非常時に大会がなくなると、すべてが終わってしまうような怖さがあります。

私は大会以外での走る目的を持つべきだと思っています。

例えば、フィギュアスケートであれば、点数だけではなく目標としているスタイルを目指すことだったり、私が現役時代に影響を受けたイチロー選手は、達成できない目標や目的を置いていてそれをモチベーションとして活動していました。例えば打率10割とか。

陸上で例えるならば、「風を切るように走る」などといった理想の感覚を目指して走ってみるなど、動作や感覚に喜びを感じられるような目的を持つべきだと思います。

―大会でのタイムなどの目標以外に目的を持つ事が大切ということですね。実際にオリンピックに出場した時はどのような心境でしたか?

オリンピックを目指していた時は憧れもありましたし、スポーツ選手の中では一番上の目標だと思っていました。

ただ、実際に出場が決まると、期待に応えなければいけない。結果を出さなければいけないというプレッシャーに変わり、オリンピックの捉え方が変わりました。

写真:ご本人提供

―確か結果は13位でしたよね。世界で13番目に速いということは素晴らしいことだと思います。

そうですね。ただ、世間からの評価は厳しいもので惨敗と言われました。

応援してくれる国民の方は、結果を楽しみにしていて、メダルや入賞を注目しています。

今振り返ると、準備している時から今までにない感じでした。今までの大会は、「自分が結果を出したいから頑張り、結果を出すことで周りの方々への恩返しに」というモチベーションが大きかったですが、オリンピックはそうじゃない。○○しなければいけないという義務感を感じてしまいました。結果が出なかったこともあると思います。

今思うと、通常の試合のようなモチベーションで臨めばよかったと思っています。

終わってみても、いつもは自分の走りを反省するんですけど、オリンピックは周りの評価があるので、自分の結果に対して素直に捉えることが出来なくなってしまいました。終始普段と異なる感覚の大会でしたね。

―世間からの評価が先にくると、自分の中で正しい評価ができなくなりますよね。

そうですね。報道の中でも2種類あって、「日本人女子たった一人の完走者」という評価もあれば、「メダル、入賞も途切れ日本女子マラソン惨敗」という評価がありました。

2008年の北京五輪では本当にイレギュラーなことがたくさん起こりまして、代表選手のやむを得ない棄権や、途中棄権がありました。そんな中で完走したのが私一人ということもあり、この大会は、様々な制度の見直しをするきっかけになったのではないかと思います。

―オリンピック後にマラソンを封印したとありました。競技種目を変えられた理由はあったのでしょうか? 

マラソンもスピードが上がっているし、トラック種目の実力がある選手がマラソンに移行して活躍するケースが増えてきていたので、一度トラック競技である1万メートルという種目である程度のレベルになり、ゆくゆくはマラソンに戻るという理想を描いて競技種目を変更しました。

この選択がうまくハマった感じがありましたし、自分の中で切り替えやすかったこともあります。前述のとおり、マラソン選手として色々と指摘を受けたこともあったので、モヤモヤを晴らしたいという走るモチベーションに繋がりましたし、大会の巡り合わせも良かったので、監督からの提案は結果的に良かったと思っています。

―順調な中で引退へ向かうと思いますが、決め手はありましたか?

前述のとおり、モチベーションの拠り所を大会にしか置いていなかったので、世界選手権後に走る目標を見失ってしまったんです。出場したい大会が無くなることで、走りたい気持ちも無くなってくるという悪循環に陥ってしまいました。

私は、企業チームに入部していたこともあり、走ることでしか会社に貢献ができないと思っていました。そんな中で走ることにもモチベーションが見出せない自分には、価値がないと判断してしまったんです。走ることよりビジネスパーソンとして会社に貢献した方がいいと思うようになり引退を決意しました。

スポーツを楽しむことを忘れないように。

―モチベーションを保つことは難しい事ですね。引退後、指導されたり、大学院に通っていらっしゃると思います。

そうですね。今まではスポーツしかない世界にいたので、スポーツじゃない世界にすごく興味があって、2年ほどスポーツから離れて仕事をしました。

その後、このまま仕事を続けるかスポーツ界の仕事に戻るのか悩んでいる時に、兵庫県・西宮で陸上クラブを行っている朝原宣治さん(北京五輪男子4×100mリレー・銀メダリスト)の誘いを受けて、陸上競技クラブ『NOBY T&F CLUB』のコーチとして指導をするようになりました。

正直、一度離れた陸上界へ戻ることに悩みましたが、大会や速さだけではない陸上の素晴らしさを伝えたいと思いましたし、私だからこそできることだと思い、陸上界に戻りました。

現役選手時代は自分も速さだけを求めていましたが、中高生などまだまだ伸び盛りの選手たちが大会や記録だけを意識しすぎて競技を続けることをあきらめてしまうことはもったいないと考えます。

もう少しジュニア世代からスポーツを楽しむことを知ることで競技を続ける人が増えれば良いと思いました。

写真:ご本人提供

―中村さんの過去の経験のもと、選択した道なんですね。大学院では社会学を学ばれているとお聞きしました。アスリートの方はバイオメカニクスなど体に関することを学ぶ方が多いと思いますが、社会学を選択された理由は?

社会学を専攻したのは自分が疑問に思っていた、「練習環境や練習制度などで競技から離れる人が多いのでは?」ということについて知りたいという理由です。一人でも多くの選手が、競技を続けやすい社会的な環境があれば良いなと思っていたんです。

―バーンアウト(燃え尽き症候群)してしまう中学生高校生を減らしたいということですか?

そうですね。バーンアウトしてしまう原因が大人や社会環境にあるのであれば、選手がその犠牲になっていると思いました。

そして、変えるためには実態、事実を知るべきだと思いました。
出会った先生が上田滋夢(うえだじむ)先生で、先生ご自身も競技者、指導者を経て教授として活躍されているので、先生のところで学んだらおもしろいのではと直感的に感じたんです。

―競技者・指導者を経ている中村さんが考えるスポーツの価値とは?

スポーツから学んだ事はたくさんあると思います。目標の立て方や人との付き合い方は、引退後に社会人として働く中でも本当に役に立っていると思いました。
疲れた時のリラックス方法や、自分のことを客観視して特長や弱点など整理や分析することもできるようになりました。

スポーツを通していろいろと学んだと思います。

思うのは現役選手の時は本当に視野が狭くて、「走れなくなったら終わり」みたいな価値観しかなかったと思います。

今はそういった考えも本に書いていますし、自分で探して気付くこともできたと思います。こういったことも現役生活中に知っていたら競技人生がもっと変わっていたのかもしれないと思います。

だからこそ、広い視野を持つことと、スポーツを楽しむことを伝えていきたいと思います。そして、誰かにやらされているのではなく、自分が本当に心からやりたいと思ってやって欲しいです。

トップレベルの選手は、好奇心を持って自分の競技に取り組んでいる印象があり、だからこそ高い競技力を保っているのかなと思います。

トップレベルになればなるほど、周囲の期待や責任に応えなければいけなくなりますが、自分で目標を設定して、好奇心を続けることが大事だと思います。

現役時代は、速さを求めていましたが、風を切りながら走る爽快感、よろこびも感じていました。自然の中を走る方が好きでした!陸上を楽しめていたと思います。

―中村さん、ありがとうございました。