国内最大手のテニススクールには満足を超える「感動」がある。~ノアインドアステージ代表取締役社長 大西 雅之~
GUEST:大西 雅之
ノアインドアステージ代表取締役社長。
中学・高校は卓球、大学ではテニスに取り組む。
大学を卒業後、家業の日東社へ入社。半年後、テニス事業の責任者とコーチを兼任する。
ノアインドアステージ株式会社
1980年創業の日本国内大手のインドアテニススクール運営会社。国内に30校以上のインドアテニススクールを展開し、従業員数は1,000名、ノアでテニスを楽しむスクール生は35,000人を超える。
2021年には世界60カ国7,000社を超える企業の中から「働きがい認定企業」に選出された。
日本国内大手のインドアテニススクールであるノアインドアステージ。事業が成長した背景には、苦労の歴史や大西社長の従業員に対する想いや考えがあった。
大西社長の想いとは?最後までご覧ください。
土地活用で始めたテニススクール
ーテニススクール事業を始めたきっかけを教えてください。
元々、父が経営していた株式会社日東社は「火をつけるマッチ」の製造から始まった会社ですが、1980年頃にマッチの需要が少しずつ減り、姫路の工場を閉鎖するにあたり、その工場跡地を遊休地活用する一貫として姫路テニスクラブをスタートしました。
テニスコートは屋根がなく最低限の工数で作れることや、近隣に迷惑も掛からず、健康産業という点もスタートをした理由です。
1980年当時、私は高校2年生で卓球に取り組んでいました。テニスを始めたのは大学からで、この4年間でテニスのイロハを学びました。
大学を卒業した1987年に株式会社日東社へ就職し、営業として活動していました。私が就職した当時はテニススクール事業を他社様に委託しており、支配人兼コーチの方が運営をしていました。
就職してから半年後、当時の支配人が退職することになり、大学時代にテニスをやっていたという理由で、テニススクールの支配人に指名され、23歳で就任しました。
支配人初年度は、売上を2000万円しか上げることができず、翌年は倍に増やすことができたのですが、テニススクールとしての給料はもらえませんでした。
3000坪にテニスコートが10面もあったのですが、屋根がない、夏は暑く冬は寒いなど運営を天候に左右されることが多くありました。
そこで、「テニスに取り組む環境を整えたい。屋根を付けてほしい」と父に相談し、1億円の支援を受けてテニスコートのインドア化をしました。
余談ですが、1億円の出資は「捨てる覚悟だった」と父は考えていたようです(笑)
このインドア化したことが大きな転機となりました。
インドア化したときのスクール生は300人くらいでしたが、5年ほど経つと1500人を超え、売上も2億円まで増やすことができ、やっとビジネスとして生計を立てることができるようになりました。
そして、25年の間に全国・海外30店舗以上を展開する企業へと成長させることができました。
振り返れば、テニススクールの運営は難しいながらも、楽しみながらできたと思いますし、父の支援のおかげでインドア化という転機を迎えたからこそ、成功したと感じています。
日本国内大手となるまでの歩み
ー創業から現在まで、日本国内大手のインドアテニススクールになられたと思いますが、大きくなった要因を教えてください。
ビジネスとして3、4年が経ったとき、他のテニススクールがどのような取り組みをしているのか気になりましたが、情報がないことに気づきました。
取引先に相談したところ、東京で人気のテニススクールがあることを教えていただき、ベンチマークへ行きました。その規模は私たちの2倍ほどある規模のスクールでした。
「テニスを盛り上げたい」という理由で、そのスクールで実施しているイベント内容やチラシを用いたPR活動などのノウハウを詳細まで教えてくれました。
いただいた情報を持ち帰り、さっそく実行してみると、勢いよく会員数が伸びていき、テニススクールの規模がみるみるうちに大きくなっていきました。
私たちは、成功者からノウハウを学び、自分たちで実行したことが大きく伸びた要因だと私は思っています。
ー国内外でスクールを展開しておりますが、人が集まるスクールの特徴はどんな点だとお考えでしょうか?
有名な某テーマパークや高級ホテルでは、お客様のご利用単価は決して安くはありませんが、それでも人が絶えることなく沢山のお客様に愛され続けていると思います。
その理由は「感動」を与えるということだと考えています。
当社が掲げている行動指針「ノアイズム」の項目にも「お客様感動」があり、私たちはお客様の期待を超えるサービスを提供して、満足の先の「感動」につなげていく接客を心がけています。
感動のサービスを提供するためには、お客様に関心を持ち、理解することが大切になります。
それが出来るようになるためにも、まずは、日頃から一緒に働く仲間に愛情を持ち、自分の身の回りにいる身近な存在を大切にすることを心がけているため、従業員同士の関係性は深いと思います。それが結果として従業員満足度の向上に繋がり、アルバイトさんにも愛される職場となり、学生アルバイトさんもアルバイト生活を通じて成長し、毎年1割ほど新卒でノアにご入社いただいています。
感動の定義は人それぞれだと思います。涙するような大きい感動から、ちょっとした小さな感動まであると思います。テニススクールは、不特定多数のお客様が来るようなお店とは違い、毎週決まった曜日と時間帯に同じお客様が通われています。毎週スクールをご利用いただいているお客様に、大きな感動を与えたいですし、毎週の小さな感動の積み重ねも大切にしています。その積み重ねで、人が人を呼び、感動の輪が広がると考えています。
このような場所に「人」が集まるのではないでしょうか?
大西流のコミュニケーションとは?
ー大西社長は従業員とのコミュニケーションを大切にされているとお聞きしました。どのようにコミュニケーションを取られているのでしょうか?
8時から9時の早朝勉強会を年150回ほどリモートで開催していて、従業員には3ヶ月に一度参加をしてもらっています。1回あたり定員を9名という少人数に限定して、従業員一人一人と密にコミュニケーションをとります。
また、従業員には毎出勤時「一言メール」を送ってもらっています。全てに目を通し、気になることがあれば連絡を入れています。時には手紙を書くこともありますね。
直接現場へ行くことが難しいからこそ、日々の小さなコミュニケーションやアナログな関係を大事にしています。
ー従業員とのアナログな関係は以前から大切にされていたのでしょうか?
従業員との関係を大切にするようになったきっかけがありました。
20年ほど前になりますが、退職者が多く出た時期がありました。利益も出て、会社としては安定していたのに…です。
社内では人間関係が崩れていました。気分よく働けない環境になっていたのです。
原因は私が現場のことを把握せずにいたことでした。
そして、2002年に当時のナンバー2と従業員6名が一緒に辞めて違う会社を立ち上げました。
当時、会社のホームページにあった掲示板では色々と書き込まれ、在籍従業員やお客様には多くの不安や迷惑をかけたと思います。
当時の私は、辞めた人が悪いと思っていましたが、同時に、何かがおかしいと引っかかっていました。
従業員が幸せに働いている会社を調査して、その会社の経営者に話を聞き、従業員満足度や気持ちよく働ける環境つくりの勉強をしました。
ただ、どこから手を付けていいかわからず悩んでいました。
そんな中、従業員満足度の高い会社にお邪魔した時に、その社長が全従業員に手書きの誕生日メッセージを書いていたんです。
私も「これだ!」と思い、マネをするべく手紙を書こうとペンを手にしたのですが、内容が全く浮かびませんでした。私が従業員に関心を持っていないことに気づいたのです。
私が知らないということは、従業員も私を知りません。お互いを理解していない環境だったのです。
この状況に気づいた時から、積極的に現場へ行き、従業員と飲みニュケーションをするようになりました。従業員とコミュニケーションを図ることで、お互いの距離が近くなり、メンバー同士では関心を持つようになったことで、チームワークの向上にもつながる環境が整いました。
私も従業員を幸せにすると発言することができるようになりましたし、社内の人間関係も安定していきました。
幹部との関係も大切に考えています。
月に一度幹部と食事へ行き、本音で語り合う関係性を作りました。経営理念や私の考えを従業員へ伝える代弁者となってくれています。
ノアインドアステージの展望
ーこれからの展望はどのようにお考えでしょうか?
幹部や従業員の育成は、5年後、10年後に会社を残すためには一番重要なことです。
経営計画発表会で伝えましたが、今の従業員が会社を作る意識も持つように育成したいと思っています。私たちの会社は従業員が主役です。人材育成に注力していきたいと思います。
ー事業の展開はいかがでしょうか?
現在、当社の施設では硬式テニス96%、ソフトテニスが3%、バドミントンが1%取り組めるようになりました。
バドミントンに関しては、体育館など取り組める施設はあるものの、枠がなく取り合いになっているのが現状です。私たちのコートでバドミントンに取り組めるようになれば、使用者も増えると思いますし、バドミントン選手の働き先が増えればいいなと思っています。
ー中学校部活動の外部委託が進んでいますが、大西社長の想いをお聞かせください。
ソフトテニスのお客様はほとんどが中学生ということもあり、スクール生が所属する中学校へボランティアとして指導を行っています。ただ、平日のボランティア指導には限界がありますので、行政機関と協力していきたいと思います。
私たちができることに取り組み、子どもたちがスポーツに取り組む環境を整えていきたいと考えています。
そして、たくさんの競技にチャレンジして、好きなスポーツに出会い、人生を豊かにしてほしいです。