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元阪神タイガースの亀山さんがその野球人生を振り返る

GUEST:亀山 努(かめやま つとむ)

元プロ野球選手。阪神タイガースで活躍した。
現在は、タレント業や野球解説者など幅広く活躍する。


元阪神タイガースで、亀新フィーバーを巻き起こし、現在は、解説者やリトルリーグ世界一など、幅広く野球界に貢献されている亀山努さんにお話をお伺いしました。

名手・新庄も守備が下手だった!?奄美大島から野球留学!?掛布さん、八木さんをみて内野を諦めた!?野球を辞めたあとは3か月企業でタダ働き!?
など、驚きの話題や気になる内容など盛りだくさんです。

※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2018年11月30日に掲載した記事になります。



自分の強みを生かし、切り開いた道

ー早速ですが、亀山さんの野球人としてのキャリアを簡単にお願いします

大阪枚方リトルリーグで小学校3年から始めました。祖母が倒れた事情で、小学校6年の2学期からは奄美大島へ転居し、地元の中学校の軟式野球に3年間。そこから、鹿屋中央高校に双子の二人で野球留学。

高校時代の最高成績は2年の秋で、九州大会ベスト8。その後阪神タイガースから声がかかって、87年ドラフト会議で阪神タイガースにドラフト外で指名していただいて、そこから10年タイガースでプレーしました。

バッテリー以外のポジションは経験しましたね。

ープロに入団し驚いたことはありましたか?

プロ入団まではノックをしても上位に入るほどの腕前はありましたが、プロはやはり違いました。下から数えたほうが早いくらい、レベルの高い選手ばかりでした。当時はサードのポジションだったんですが、1番手には掛布さん、代打の神様八木さんといった有名選手が並んでいるわけです。

果たしてこの人抜けるかと不安になっていたところ、掛布さんから、一つでもいいから秀でたものを見つけないとこの世界ではいきていけないとアドバイスをいただきましたね。

足の速さと肩の強さには自信を持っていました。そこで「外野にチャレンジさせてほしい」とお願いしたら「お前は外野を練習してもいいけど、チームとしては内野手としてとってきてるんやから、外野手もやりながら内野手の練習もしなさいよ」といわれ、必然的に練習量も倍になっていきますよね。

ー勝てるポジションを選んだということですね。

当然!自分がやりたいポジションよりも、生き延びれるポジションを19歳の時に選択しました。

ー自分の強みを生かして生き延びれる仕事をするという視点は重要なことだと思います。

自分に自信があるのであればその視点も大切だと思います。一方でまだまだ未熟だと感じているのであれば、一度力を付けて、選択肢を広げることが優先度が高いと思います。

私の場合、野球が好きか嫌いかと問われたら好きで、野球に携わる仕事がしたいと思っています。
そう捉えたら、野球のプレーヤーだけではなく、マネージャー、記録員など様々な選択肢があります。どうしても野球に携わりたいと悩むことと比べたら、ポジションを変えるということは小さな選択だと思います。ですから、強みを生かしたポジションを選択したことは、私の中ではそんなに苦渋の選択ではありませんでした。

子供が成長できる環境を整えるのが指導者

ー話は変わりますが、プロを引退されてから枚方リトルの監督を務められたのはもともと考えていたことなのでしょうか?

プロ引退後はゆっくりしようと考えていたところ、たまたま小中学校時代の恩師から電話がきて「時間があるなら小学生に指導してくれ」と連絡をいただきました。子供たちが減る中、プロ選手から野球を教えてもらえることは非常に良い環境になると言われました。その強い想いをお聞きし、引き受けました。

ー枚方リトルで指導する中で感じたことはありますか?

保護者の方に思うところはありました。
保護者には野球のサポートについて勉強してほしいと思っていましたね。子供たちが上手くなるためにどういう練習がいいのか、故障とか治療など身体のメンテナンスはどうするのかといったことを子供以上に調べてサポートするっていうことが一番大事だと思います。

「インコースは脇締めて!」とか「もっと振れ!」と言いたくなる気持ちはわかりますが、指導はコーチがやることです。気持ちを押し殺して一生懸命応援してほしいですね。

ー餅は餅屋。野球のことは、あくまで指導者が指導するということですね。

そういうことです。保護者だけでなく、OBもそうだと私は思います。周囲が協力して、良い指導環境を作ろうと日々努力はしています。

ーこれから野球を始めようと考える方へ、良いチームなのか見極めるポイントはあるのでしょうか?

個人的な意見ですが、わかりやすいポイントはすぐに申込書を持ってくるか否かだと思っています。
枚方リトルでは、数回体験いただき、その上でおもしろい、やってみたいという方へ、初めて申込書を書いてくださいと伝えします。

どんなスポーツであれ、一生懸命取り組む中で壁にぶつかることはあります。そこで、踏ん張れるのか、保護者も一緒に壁を乗り越えられるかが長く続けるために必要なことです。
入団前にチームの雰囲気を感じていただき、子供が一生懸命取り組めるチームなのかという観点が重要だと思います。

継続することで見えること

ー亀山さんがプロ野球を引退しようと考えた時期と理由について教えてください。

1995年、腰の横突起骨折したときですね。怪我で思うようなパフォーマンスが発揮できずストレスが溜まっていました。

私は92年に活躍できたのですが(編集注:新庄と亀山さんは、外野を編成し、亀新フィーバーとして活躍)翌年93年に肩の脱臼で離脱して、95年には腰を骨折してしまいました。

ケガが続き、これでもう自分のパフォーマンスは落ちるだろうなと感じました。いつ契約を切られてもおかしくない状況だろうと認識しながら、96年のシーズンを迎えたことを覚えています。

監督も中村監督から藤田監督に代わる時期だったこともあり、自分の環境を変えようと考えました。

ープロになるまでに野球を辞めようと思ったことは?

正直なところ、結構あります。ただ、昔は部活を途中で辞めてしまったら学校で笑い者になるような風潮があったので、寝て起きたら「やっぱりやろう!」と気持ちが変わっていました。

結局のところ野球が好きなんですよね。ファインプレーとかヒットを打ったシーンが頭から離れないんですよ。野球ができる人はすごい!みたいな雰囲気もあったので、それも辞められない理由の一つだったかもしれません(笑)

-冒頭で出た、やりたい仕事よりも生き残れる仕事をするという考え方とは少し矛盾しますが、自分がやりたいと思っている仕事は壁にぶつかっても頑張ろうと思えると思います。

何事も続けていたら段々面白くなると思うんですよ。
最初は新庄剛志も守備が下手でしたから。段々と守備に興味持ち、守備を考える選手になりました。

取り組んだことはすべて力になる

ー引退後のセカンドキャリアはどのスポーツでも課題を抱えていると思います。亀山さんは引退後も解説者などご活躍されている方だと思います。ケガで引退を意識されてから、セカンドキャリアに向けてどのように考えていたのでしょうか?

私は何も考えていませんでした。だから今、御社のような体育会学生やアスリートのキャリア支援会社があることがプラスだと思っています。

私は19歳でプロになり、28歳で引退しました。
引退後は「野球に携わるのはもうええわ」と思っていたので、社会の常識や仕組みを理解しようと思い、知人の会社で3ヶ月ほどボランティアとして働き、社会人としてのルールなど教えていただきました。
会社という組織体の全てを知らずして、この社会には適応できないんじゃないかと思ったことがきっかけです。

最初は複数回線の電話やコピー機の使い方もわからずてんやわんやしましたね(笑)

そうこうしているうちに、枚方リトルから声をかけていただき、ラジオにも呼んでいただきと仕事をいただくようになりました。カラオケ番組のMCなどもやりましたね。
野球関係の仕事は、新庄がメジャーへ行くときに、私も一緒についていったんです。そこから解説者などの話をいただくようになりました。新庄に助けられましたね。

ー野球選手として活躍後、解説、タレントなど、メディアの世界で活躍される方もいらっしゃいますが、人前で活躍する方は運もお持ちだと思います。

まず、ある程度プロ野球界で成績を残した人じゃないと仕事を斡旋されない。
基本的には、引退した時は、どんな選手もメディアに名前が挙がります。ただ、そこから仕事に関わる人は、プロ野球界で成績を収めた人や知名度が高い人でないと仕事が来ません。また、周りへの感謝や人と接するときの態度といった人間力の高い人が活躍していると思います。最後は人と人とのやり取りですから。

-最後に今現役でスポーツをやってる学生に向けて、スポーツの現役生活を終えて社会人になるときに伝えたいことはありますか?

一つだけ言えることは「自分はこんなもんだ」と線引きはしない方がいい。

壁に跳ね返されることがあるかもしれないけど、そうなったとき、前を向いていれば光が見えてきます。失敗を恐れずに色んなことに挑戦してほしいですね。

いままで取り組んできたことは決して無駄じゃない。いろいろと積み重ねてきた分、頑張れると思います。
やり方は、一通りじゃありません。自分の思考を変えれば、360度どこからでもアプローチできるはずなので、柔軟な頭をもってチャレンジしてほしいなと思います。

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