九州のアメリカンフットボール界を変える男。西南学院大学アメリカンフットボール監督、みらいふ福岡SUNS代表兼選手の吉野至。
GUEST:吉野 至(よしの いたる)
西南学院大学アメリカンフットボール部監督、みらいふ福岡SUNS代表兼選手。大学時代は日本一を経験。アメリカンフットボールの普及に人生を捧げ活動している。
※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2019年7月2日に掲載した記事になります。
―吉野さん、よろしくお願いいたします。関西大学卒業後、数年間の会社員生活を経てコーチ・監督としてご活躍しているとお聞きしております。大学を卒業されてから就職活動はどのような基準で進路を選ばれたんですか?
僕は大学日本一になった大学3年生の1月3日の1週間後、1月の2週目から就職活動を始めました。大学時代に日本一になったことから行きたい会社に行けるような、売り手な就職活動の状況でした。
―輝かしいご経歴です。進路先はどういった会社に入社されたんですか?
『ロート製薬』に入社しました。もともと理系出身なので理系の会社からはいくつか内定をいただいたんですけど、やはり営業がしたいと思って最終的にはロート製薬の文系就職に進みました。
僕の会社選びの基準は「東京か大阪どちらかで働く」というのが本音でした。当時のロート製薬は北海道、東京、大阪、名古屋、福岡に拠点を構え、入社後は大阪に配属になるということをお聞きしていたので入社しました。ですが予想を裏切り、結果的に唯一の福岡配属になったというのが社会人スタートになります。
―そこから福岡勤務で5年間勤務されましたよね。
5年間フットボールのコーチ活動を行いながら働いて、6年目に大阪転勤の辞令が出ました。ずっと大阪勤務を希望していたのですが、一念発起大きな選択をして会社を辞め、福岡の西南学院大学で監督を続けられるよう転職をしました。
せっかく命を懸けてフットボールをするのであれば、九州のフットボールを強くしたいと思い、西南学院大学のコーチに就任し、社会人チーム作ることを企画して仲間を集め、2017年に福岡SUNSを創部しました。
―希望していた大阪勤務ができる選択がある中で、西南学院大学の指導を引き受けることを決めた理由は何があったんですか?
実は、母校の関西大学からも「コーチをやらないか」と誘いを受けていて、どちらにせよ僕の中で一生フットボールに携わる気持ちでいました。
その中で、始めて西南学院大学でコーチをした時に感じた疑問がありまして。九州アメリカンフットボールのレベルがとても低かったんです、九州には力のあるコーチなどが教えているのに。
―それほどまでに関西とはレベルの差があったように感じたんですね。
今とは比べ物にならないぐらい低かったですね。
「なんとか強くしよう」と思って頑張っていると、見る見るチームは右肩上がりで強くなりました。強くなった要因を皆で考えると、今までは転勤する人がコーチになることが多く、3年ぐらいのスパンでコーチが変わります。そんな組織が強くなるわけがなくて、毎回コーチが変わる度にチームのベースが変わってしまいます。フットボールは高い戦略・戦術理解度が求められるスポーツなので、指導が頻繁に変わることの影響は大きいんです。
例えば、3年生の場合、自分が入学してから3年間はAという指導者の下でやりましたが、4年生の時にBという指導者に変わるとBの指導法が伝わりきらない。
そういう環境が九州の大学で続いていて、僕はたまたまフットボールに関係なく、ロート製薬に在籍して5年間コーチとして教える中、3年目からヘッドコーチの立場で指導することができたので、どっぷり浸かって指導をやろうかなと思いました。やっていると、どんどん強くなってきて、今は関西の1部リーグに入ったとしても中堅チームに相当するくらいの力を付けることができたと感じています。
あとは、大阪へ戻る辞令が出たタイミングがちょうど今の大学4年生が1年生で入部した年の5月に出たんですが、これも縁でしょうね。今の大学4年生は素晴らしい選手がそろっていたんです。彼らを目の前にしたら「こいつらを見捨てて大阪へ戻れない」と思いました。
大阪へ戻って恵まれた環境のある関西大学で指導することは簡単ですし、もう一度日本一という思いはありましたけど、それは僕じゃなくてもできると考えたんです。
あとは、「西南学院大学アメリカンフットボール部に命を懸ける、九州のフットボールを普及させることに命を懸ける人間は、もし僕がいなくなったら一生現れないかもしれない」という思いになって、自分にしかできないのはどちらか考えた時に、このまま九州に残って関西大学より強くしたいという想いになりました。
その時はまだヘッドコーチでしたけれども、その翌年に西南学院大学の監督が亡くなったことから、急遽監督をすることになりました。
―前任の監督が亡くなられたんですね。それはお悔やみを申し上げます。
そうなんです。本当に急なことで。ヘッドコーチになって5年目まで、ずっと私の傍らには桑原監督がいました。福岡SUNSの立ち上げも桑原監督とずっと二人で行っていたんですが、福岡SUNSの創部2週間前に急逝されてしまって・・・。
チームを立ち上げたタイミングもあり、西南学院大学の監督と福岡SUNSの代表も全部僕がやることになりました。
―そのような経緯があったんですね。そもそも、社会人チームを作ろうと思ったきっかけは何かあったんですか?
今、西南学院大学アメリカンフットボール部は九州でダントツに強く、5連覇をしています。ただ、僕の教えた卒業生の中では、卒業後に一人もフットボールを続けていなかったんです。それは、九州に社会人チームがないことが一番大きな理由かなと思いました。
もっと伸びる可能性がある選手たちがそこにいるのに、大学の4年間を終えてフットボールを辞めてしまう環境を変えなければいけないと考えました。教え子たちの受け皿も設けて上げたいという気持ちもありました。
あとは、僕のように仕事で転勤になり、フットボールを辞めなければいけない人がいる環境を変えること、そして西南学院大学を(関西大学のように)一層強くするためにも九州全体のフットボールを強化しなければならないという想いがありました。
本当に、ライバルがいないと自分のチームも強くならない。敵チームの監督が教えに行くことはできないし、敵チームを強くするという発想はおかしな話で。どうやってコーチを育成しようかなと考えた時に強い社会人チームでプレーしたOB達が指導することで各大学が強くなりますし、九州全体のフットボールのレベルが上がると考えました。
―なかなかこういう発想を持っている方は少ないですよね。
まぁ、九州だからこそできたことかもしれませんね。
―「本当に九州のフットボール界を考えるならば」という視点をもっている吉野さんだからこそできることですね。
根っこにあるのは西南学院大学アメリカンフットボール部を日本一にすることですが、そのためには九州リーグが日本一にならなければいけません。結局、今は関西が日本一のリーグなので関西の大学が日本一になると思います。
今、九州は日本で4位ぐらいのリーグにいますが、4位のリーグから日本一のチームは絶対生まれないと思うんです。4位リーグのチームがいきなり関西のチームと試合をしても勝てるわけありません。
関西の大学はずっと1位ですけれど、関西では毎試合死闘を繰り広げていて、頑張って1位になってるチームですから、そういう環境にしないと本当に日本一を目指せないだろうなと思っています。それは、僕が関西出身だから言えることだと思います。
―ぜひ、他の競技の方へ聞いていただきたいお話ですね。
アメリカンフットボールはマイナースポーツの中ではメジャーなスポーツだと思っていますが、その割には日本全国でも数万人くらいしかフットボール人口がいません。
僕はフットボールのおかげで就職もできましたし、いろんな仕事が出来ているので、フットボールに対する感謝の気持ちが強いですが、誰かが頑張らなかったらアメリカンフットボールは無くなってもおかしくないスポーツかなと思っています。何も社会貢献もしていないですし。
―マイナースポーツとしての危機感を持っているということですか?
危機感は強いです。理由として、ほとんどのスポーツが47都道府県で行われていますよね。ただ、アメフトは国体もないですし、全国大会もありません。なので、関西関東にすごく集中しているスポーツで、本当に危機感を持っています。
Xリーグは全カテゴリーを含め53チームありますが、関西関東以外のチームは本当に少ないんです。
―なるほど。でも、福岡で新しいアメフトチームを創設したことで良い影響や勢いに乗ることができたんではないでしょうか?
そうですね。まず、新しくチームを作る場合、選手を集めることが難しい。
本来アメフトは65人のメンバー登録が必要で、少なくとも50人ぐらいメンバーがいないといけません。50人アメフト選手を集めることは相当大変なんですよ。九州にはアメフトコミュニティがあったので、一人ひとりに電話して口説きました。結果、創部前に45人ほどのメンバーが集まりました。あとは、このチームでXリーグの1部に行けるという確証があったので、チームを創設することを決意しました。
―人徳・人脈がないと最初に選手を集めることはできないと思います。
相当、体と時間を使いましたけどほぼ全員福岡SUNSへ参加してくれましたね。僕が福岡に来た22歳の時に所属していた社会人の草フットボールチームに2年だけ所属していたんですが、その時のキャプテンや監督など皆を巻き込んでいましたね。
―吉野さんの行動に多くの方たちが賛同してくれた理由はなんだと思いますか?
コーチとしての功績ですかね。西南学院大学アメリカンフットボール部で僕がコーチになる前の10年間は九州で優勝1度だけ。でも僕がコーチになってからは一度だけ逃しましたが、ほぼ優勝しています。
それまでは九州4つの大学で背を比べていましたが、西南学院大学が手の届かないチームとなり、選手・コーチの実力があるということが各チームに浸透したからだと思います。敵チームからも質問をもらうようになりましたよ。
なので、九州でフットボールをやっている大卒メンバーはもともと僕を知っている人が多かったと思います。僕の教え子は20人ぐらい入ってくれましたね。
関東・関西出身のメンバーが半分ほどいますが、彼らは「フットボールをやりたい」という潜在意識があって、やるなら本気でやりたいというスタンスでした。
そういったメンバーには「チームを作るから入ってくれ」ということではなく、「一緒にチームを作りましょう」と勧誘をしましたね。自分の中でチームを作るという夢があるじゃないですか。そういう考えをうまく使いながらご飯やお酒を飲みに行き交渉しました。
ですから、チームでオフェンスコーディネーターを務める前田くん(アメフトの強豪、立命館大学でエース)にオフェンスのことは一任しています。
あとは僕自身も現役選手なので、勧誘する選手と歳が近いこともあると思います。おそらく、おじさんだったら選手を集められていないですね(笑)。
―我々、スポーツフィールドは『スポナビ』のサービスを通して、「スポーツの価値」を高めようと活動を行っています。吉野さんが考える「スポーツの価値」また、体育会に所属している意義・価値についてどう思いますか?
学生時代にスポーツをやっている人は、プロ選手になる人以外の約99%が、卒業後には就労して企業での労働に時間を割くと思います。その中で、大学生時代は「人生最後の100%何かを打ち込める4年間」だと思っています。高校生とは180度違うと思っていて、課外授業のように半強制的な部活動ではなく、大学の部活は自分が選択をして入部していると思います。
「やらなくていいことを本気で頑張る」ことは普通じゃあり得ないことで、大学はそういう意味では4年間授業と別の時間で「本気で何かをできる唯一の4年間」なんですよね。
あとは、大学で部活動をやる理由は「一生の仲間ができること」だと思っていて、死ぬまで一緒の仲間を作れるのはおそらく大学の部活以外にないんじゃないかなと思います。 中学の部活仲間、高校の部活仲間と飲む機会よりも大学の部活同期は年に何十回も飲みに行きますよ。
伝えたいことは「仲間ができる」こと。そして「何か本気で取り組みなさい」ということですね。
社会人で採用に携わることもやりましたが、僕は「人生の中で何か本気で取り組んだことはあるのか」を必ず質問します。1度でも100%本気で取り組んだことのある人であれば、もう1度頑張れる気がします。
学生時代に70%しか頑張らなかった人は社会に出ても70%しか頑張らないですし、自分の壁を作ってしまい、社会に出ても変わらないと思います。
―ちなみに吉野さんは学生やメンバーを「本気にさせる」ために大事していることはありますか?
「僕が一番本気でやる」ことですかね。
僕は常に誰よりも勝ちたい気持ちで監督をやっていますし、誰よりも勝ちたい存在であるべきだと思っています。フットボールは僕が「右」と言ったら全員が右に行くスポーツで、僕が彼らの舵を取るわけなので、彼らより勝ちたい気持ちがなかったらその権利はないと思っています。
―本気の気持ちはチームに伝染していくと思いますか?
伝染すると思います。逆に本気ではないチームであれば、僕がいる意味がない。その時は辞めることも考えます。今はそうなる気が全くしないですけどね。
僕は「お前らが勝ちたいなら頑張れ」という気はないです。「勝ちたいから一緒に頑張ろう」と本気の気持ちでやるからみんなも本気でやってくれという気持ちです。
選手とは良い意味で対等に接していたいので、選手たちへ一方通行の指導をする指導者ではなく、「一緒に本気でやる」というスタンスを作って、誰よりも命をかけて取り組んでいると思います。
まぁ、さすがに自分たちのために仕事を辞めて九州に残ってくれた人のいうことは聞きますね(笑)
―そうですよね(笑) さて、インタビューも終盤になりました。就活生、特に体育会の学生は学業、部活動という時間がない中で就活も行います。吉野さんが就活生にエールを送るとしたらどんな言葉を贈りますか?
中途半端にせず、就職活動も本気で取り組んでほしいと思います。就職活動を本気でしているチームメイトを見て「練習さぼってるな」と思わないですよね。とりあえずたくさんエントリーして、説明会へ参加して、行くかもわからない企業を受けている人はチームメイトからそんな就活しなくてもいいと思われますよね。
でも「絶対俺はここに行きたいんだ」という本気度をチームメイトや監督たちに対して伝えることができれば応援されると思います。やるなら本気でやることが重要ですし、行きたい会社を全力で受けることが大切だと思います。
なんか・・・エールではないですね(笑)
―部活の現役期間中に就活を行うと、部活の仲間や指導者にどのように受け取られるか、気になる学生は多いので、しっかりとアドバイスになっています(笑)
あとは、就活のせいにしないことですね。就活へ行くから練習にいけないなんてあり得ないです。1日の練習時間は3時間しかないので、就職活動と被ることはありますが、被ったら個人で3時間練習をすればいい。
結局、何かのせいにしてしまうと負けるのは自分自身なんです。就職活動を言い訳にした瞬間にそのチームは勝てないと思います。自分たちが勝ちたいという中で就活を言い訳にすることは負ける理由を作っているだけですから。
であれば、勝つ理由を作ればいいと思います。就活で休んだけれども、「休んだメンバーでしっかり練習した」ということが勝つ理由につながるので。本気でやることが、その時期だけ2つになることだけです。
逆に、部活動で就活が上手くいかなかったということも言い訳にしてほしくないですね。
本気でやった人はなりたい人生になると思います。
―おっしゃる通りだと思います。吉野さん、今後の目標と目的を教えてください。
目標はまだ日本一ではなく、「打倒関西・東海」と掲げています。100%ミスなく、全ての行動が上手くったとしても15~20%くらいで成功するかもしれないところに目標設定することで、それを本気で取り組むことで、ものすごくレベルアップします。
目的は「勝って最後に泣くこと」ですかね。一年間を振り返り「100%やり切った」というような学生生活を送ってもらうことが指導目的ですね。
結果として勝ち負けがありますが、このチームで100%目標達成に向けて行動をしたということ、行動量や努力量は彼らにとって事実として残りますし、それが彼らの誇りや人生の大切なものになりますから。
―なるほど。最後に吉野さんが思う「ありたい姿」とは?
「全部100%でやってる男でありたい」ですね。
よく「西南学院大学監督と福岡SUNSの監督はどちらが優先順位は高いですか?」と聞かれますが、僕は「両方1番」と応えます。全部100%でやると自分自身で決めているので。
まぁ、睡眠時間は減りますけどね(笑)
―吉野さん貴重なお時間をいただきありがとうございました。監督、現役プレーヤーとして活躍する吉野さんから熱量を感じました。
今後の西南学院大学、福岡SUNS、そして、九州のアメリカンフットボールの発展を期待しています。
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