世界の道を切り開き、日本を支えるプレーヤーへ ~ホッケー日本代表選手 及川栞~
GUEST:及川栞(おいかわしほり)
岩手県出身のホッケー選手。ポジションDF。
2016年秋からオランダ1部リーグで活躍。2018年から日本女子ホッケー初のプロホッケー選手となった。その後、東京五輪出場を目指し、2019年に帰国。帰国後は、東京ヴェルディにてプレー。
東京ヴェルディホッケーチームは2021シーズンより、女子ホッケー最高峰リーグ『ホッケー日本リーグ』へ参入することが決定。
【経歴】
2007-2011 天理大学ベアーズ
2011-2017 SONY HC BRAVIA Ladies
2017-2019 Oranje-Rood (オランダ)
2019-2019 Canberra chill (オーストラリア)
2019- 東京ヴェルディ
※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2021年4月13日に掲載した記事になります。
ホッケーの町から生まれたホッケーのパイオニア
ー及川さん、本日はよろしくお願いいたします。数あるスポーツの中でホッケーを選ばれた理由を教えてください!
母の影響です。母はホッケー選手のゴールキーパーとしてアジア大会の銀メダリストでした。私が初めてスティックを持ったのは3歳でしたね。
そして、生まれ育った岩手県岩手町が全国に複数ある『ホッケーの町』の一つとして知られていて、ホッケーが身近な存在でした。
ー及川さんにとって、ホッケーが身近なスポーツだったのですね。そして、天理大学、SONY HC BRAVIA Ladiesへと進まれましたが、人生の節目において選択の前提にあるのは常にホッケーだったのでしょうか?
そうですね。
両親が教員なので、私も教員免許を取得しようと考えていました。特に、体育教員の免許を取得したいと考えた時に「体育教員免許の取得+ホッケー」という環境がある大学は天理大学でした。
また、天理大学の顧問が岩手までお越しいただき「来年、天理大学で待っています」とお誘いをいただいたことも決断した理由です。
当時、日本最高峰の女子ホッケー日本リーグには大学4チームと社会人4チーム、計8チームがリーグ戦を行い、優勝を決めていました。大学卒業後はリーグ連覇をしていたSONY HC BRAVIA Ladiesというチームに在籍し、7年間仕事と競技の両立をしていました。
ホッケーの場合、日本にはプロとして活動する場がなく、企業に在籍し仕事と競技の両立をすることが一般的です。平日は8時30分から15時まで勤務し、夕方から夜にかけて練習に取り組み、土曜日は2部練習、日曜にオフがあるというスケジュールで過ごしていました。
ーこれだけの練習量と仕事の両立は、身心ともに厳しかったと思います。
当時はこれが当たり前でしたし、練習を積めば勝てる時代だったかなと思います。
今は、練習量よりも練習の質を高めて、臨機応変に考えて練習に取り組むことが大切だと知りましたが、当時は部活動の延長線上みたいに感じていましたね。
オランダで3年間の武者修行
ーその後、ホッケーの強豪国であるオランダへ留学されます。留学に至るきっかけを教えていただけますか?
私は2016年の9月から3年間オランダへホッケー留学をしました。
2016年2月にドラッグフリック(ペナルティーコーナーでゴールを狙うホッケーのシュートスキル)のスキル講習会があることを日本ホッケー協会から案内をいただき、SONY HC BRAVIA Ladiesのチームメイトと参加しました。専門的にドラッグフリックを習い、シュートスキルを向上させたいと思っていたので楽しみにしていました。
講習会では、オランダ人講師にドラッグフリックを教えていただいただのですが、講師が後のオランダでプレーするチームのヘッドコーチに就任するタイミングでした。
講習会の際、通訳の方が「及川が海外への興味がある」ということを講師へ伝えてくれ、帰り際に「僕たちと一緒にプレーができたらいいね」と声を掛けていただきました。
このタイミングで行かなかったら後悔すると思いましたし、世界一のオランダでホッケーがしたいと思っていたので、迷うことなく留学を決めることが出来ました。
ーコーチからかけられた一言がなければ、及川さんにとって全然違う人生だったかもしれませんね。
あの一言がオランダへ行くことの最大のきっかけとなりました。私は運が良かったと思います。
オランダで所属したチームは、新しいヘッドコーチを招き、2つのクラブが合併して新チームとして活動するタイミングでした。
オランダは世界ランク1位ということもあり各国の優秀な選手が集まるので、既存のチームがリクルーティングを行うには、通常トライアウトを経て獲得します。私の場合、プレーを見て判断してくださったので、それが事実上のトライアウトみたいなものだったかもしれません。
オランダ1部リーグでプレーすることができ本当に嬉しかったです。
ータイミングや環境など、様々な好条件が重なることはあまりないと思います。夢を実現するために、選手としての実力以外に得難い要件かもしれません。
私、何か不思議な力を持っているのかもしれませんね(笑)
オランダでは世界トッププレーヤーと試合ができたので楽しかったですし、自分の経験値が上がったと感じることが出来ました。
留学で学んだ「自分の考えをストレートに伝えること」の大切さ
ー言語や文化が違う中で、競技やプライベートで日本とは異なる点はありますでしょうか?
ホッケーに対するプロ意識はものすごく高く感じました。
プロ選手たちはクラブからお金を貰っています。どんなに良いトレーニングをしても試合のピッチで力を発揮できなければ次の試合はスタメンでは出場できません。常に週末のリーグ戦に最大のコンディショニングでプレーすることを1番に考えていました。
コミュニケーションも「私は○○の考えがあったからこのプレーをした」と選手同士で言い合う姿を見た時は、衝撃を受けました。
お互いが真っすぐな意見を伝えることは日本にはない文化だと思います。
良く知っている監督もチームメイトもいない中で、自分の考えや意見を素直に伝えようと考えぬく過程で自分のストロングポイントを見つけることが出来ると思いますし、ピッチ上でパフォーマンスをする心の強さも養えると感じました。
ーコミュニケーションについてお話がありましたが、オランダではスムーズに話すことができたのでしょうか?
留学1年目は「YES」と「NO」で答えていましたね。
ただ、私の中で分からなくても積極的にコミュニケーションを取っていこうと考えていたので、チームメイトから教えてもらったり、わからない単語は携帯にメモをして、家に帰ったら全部調べていました。
すぐに、日常会話レベルでは対応出来るようになったのですが、ホッケー選手としてはプレー中のコミュニケーションがまだまだ足りません。私はチームメイトを動かす指示能力が必要なDFというポジションです。
自ら監督に英語の勉強がしたいと相談したところ、週2回の英語の勉強が始まりました。
勉強を続けること1年半、先生から「あなたは十分に話せるようになりました」と伝えられました。確かに、自分でも言葉の壁を感じることが無くなり、スムーズにコミュニケーションを取ることが実感できましたね。
日本人が海外へ行った時のケースとして、日本人のコミュニティで過ごしてしまい、英語の理解やコミュニケーションが上達しないとお聞きしますが、私の場合、日本人が一人でしたし、温かいチームメイトだったのでストレスなく過ごした結果、上達が早かったと思っています。
ー会話ができれば、コミュニケーションの幅が広がりますよね。人間関係はいかがでしょうか?
対人関係については学びが多かったです。
先ほど、ホッケーのプロ意識についてはお話しましたが、オランダではストレートに想いや考えを伝えます。
私が悩んでいる時に暗い顔をしていると、「悩みがあるなら、栞が話してくれるまで帰らないから」とチームメイトが気にかけてくれました。当時は「そこまでしなくてもいいのに」と思っていました。でも、チームメイトが私のことを思ってくれての言葉だと理解しました。
自分の思いや意見をストレートに伝えることはお互いを理解する上で大切ですし、時には人を救うことができると感じましたね。
今、私も日本代表合宿の時はストレートに意見を伝えますし、チームメイトと積極的にコミュニケーションを取るように意識しています。
自分を通じて勇気/元気/感動を
ー少し話題を変えますね。最近はテレビCMなどメディアにホッケー選手が出演している機会を目にします。及川さんが考えるホッケーの特長は何だと思いますか?
ユニフォームが可愛いですね。タンクトップでスコートを着用する競技は他に無いと思います。海外のチームのユニフォームはかわいいものばかりです。特長ですし、魅力の一つだと思います。
今後、日本でも人気スポーツになると私は思っています。可愛いばかりでなく、やってみるとホッケーは楽しいスポーツですから。
ただ、その為にもっと認知を上げていくべきですね。
現状の課題として、ホッケーは専用のフィールドが無いと出来ません。
ですから、場所の確保が難しい現状があります。
日本国内でフィールドの数が増えれば、身近なスポーツとして人気が出る可能性は大いに秘めています。
ーフィールドのお話は別選手からも伺いました。身近なスポーツになれば、注目される機会が増えますし、競技人口増加に繋がりますよね。
人数が増えればチームが増え、リーグが増え、ファンが増えます。
今、私が所属する東京ヴェルディは、今年(2021年)から日本リーグの参入が決まったチームで、女子ホッケーでは初めてのクラブチームです。新しいホッケーの形を作ったパイオニアとして活躍したいですし、リーグ優勝、そしてオリンピックを狙っていきたいですね。
ー今回の東京オリンピックに対する想いは人一倍強いのでは?
そのとおりです。リオ(五輪)に行けなかった悔しさがなかったら、今の自分がないと思います。
前回リオ五輪に出場することで、海外(世界大会)を経験したいと思っていましたが、最終選考で落選し、代表に入ることが出来ませんでした。
ただ、振り返れば、落選したことでの悔しさが、厳しいオランダ留学を乗り越えられるモチベーションになり、『誰よりもホッケーを楽しもう!』と思えるきっかけになったと思います。
だから、オランダではホッケーを楽しめましたし、そして、自分の成長に繋がりました。
ー及川さんの活躍が楽しみです!
ホッケーを楽しめているのは、オランダの経験を通じて自分のスタイルが出来たからだと思っています。特に、2018年のアジア大会で日本代表として初の金メダルを獲得した時は手ごたえを感じました。
今は、実力も経験も認められて代表になったと思っています。私はリオ以降、様々な経験を積んできました。その過程で私の役割が大きく変わったと思っています。
今後は、日の丸を背負うチームの為に頑張ろうと思いました。プレーだけでなく、若い選手への声かけやメンタルの部分でチームを支えたいと思っています。
ー最後に、及川さんが想うスポーツの価値/可能性について教えてください。
昨年の自粛期間で改めてスポーツの価値を感じました。
コロナウイルスの影響でスポーツイベントや大会が中止になり、多くのアスリート、学生、スポーツを楽しみにしている方が残念な気持ちになったと思います。
ただ、どんな状況でも夢に向かってひたむきに頑張るアスリートの姿を見て、感動しましたし、私も頑張ろうと思いました。
スポーツには人に勇気/元気/感動を与える力があります。
私の姿を見て、元気やパワーを感じてもらえたら嬉しいです。
そして、ホッケーのパイオニアとして、私が作ってきた道を若い世代の選手達が歩いてほしいです。