「これは私の種目。今は負ける気がしない」 11種目で日本記録を樹立したフィンスイマー松田志保さんは今日も水に棲む。
GUEST:松田 志保
小学3年生で、選手として本格的に競泳を始める。ジュニアオリンピックや全国総体等で活躍したのち、大学4年生でフィンスイミングと出会い、フィンスイミングの道へ。リレーや短水路種目等、合わせて現在11種目で日本記録を保持している。
フィンスイミングをご存じですか??
名前の通り、足にフィンを付けて泳ぐ種目です。
松田さんは競技認知拡大に向けて、SNSで自身の活動やフィンスイミングについて発信しています。フィンスイミングで活躍する松田さんへフィンスイミングの面白さやスポーツの価値についてお話を伺いました。
※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2019年3月12日に掲載した記事になります。
競泳漬けの日々、そしてフィンスイミングとの出会い
ー松田さん、本日はよろしくお願いいたします!早速ですが、水泳を始めたきっかけを教えてください。
幼児の頃からベビースイミングへ通っていて、本格的に水泳を始めたのが小学校3年生の時です。体が大きくて進級テストも全部一発合格だったので選手コースへ誘われたことが大きなきっかけですね。
他にもバレーボールをやっていたのですが、水泳の方が選手コースに進んでいて特別感があると感じて水泳に決断しました。
ー小学校3年生で競技の選択を迫られるとは、早いターニングポイントですね。選手コースは一般クラスと比べ練習量など多いかと思います。
水泳漬けの毎日で、週に5、6日は練習へ行き、一回当たり2時間泳いでいました。
通っていたスクールは選手のレベルが高く、当然のように全国大会やジュニアオリンピックへ出場していたので、私も刺激を受けて選手コースになって1年で全国大会やジュニアオリンピックへ出場することができました。
ー「当たり前」のレベルが高い環境ですね。中学、高校の水泳部もレベルの高い環境でした?
中学校は公立の学校へ進み、高校は推薦入学で須磨学園高校へ入学しました。中学、高校は水泳部に所属していたものの、私はずっとクラブの水泳チームで活動していたので、高校の部活動では、大きな大会(主にインターハイ)のみ、出場していました。
ー大学は推薦で大阪体育大(大体大)へ進学されましたが、選択した目的なのでしょうか?
大体大へ進学した先輩がいまして、その方は日本選手権に出場していました。その成長の過程や大体大の環境などを聞いて、私も大体大でチャレンジしたいと考えて進学しました。
ーフィンスイミングと出会ったのはいつ頃ですか?
谷川さん(現在松田さんが所属するチームの代表)と出会ったことがきっかけです。
谷川さんはもともとバタフライ選手で活躍されていた方で、フィンスイミングもやっていました。私が大学2、3年の時にベスト記録が出なくて泳ぎ方を変えたいなって思った時に、大学の練習に来ていた谷川さんにバタフライのコツをお聞きしようと研究室へ通っていました。
そして、大学水泳が終わったタイミングでフィンスイミング体験会へ行って、2回目の体験会で入会してフィンスイミングを始めました。「来週も来るなら、入会した方がいいよ」みたいな感じです(笑)
ーフィンスイミングを体験した時に、今までの競泳と違いは感じましたか?
はじめはまっすぐに進めなくてただ漂うだけでした。その時には「私って左右のバランスが悪いんだな」とわかるくらい泳げなかったし、タイムを比較してもフィンを付けるよりバタフライの方が速かったです。最初は全く違うスポーツだという認識でした。
ー同じ「水を掻いて泳ぐ」ことでも難しいんですね。フィンスイミングはいくつか種類がありますよね?詳しく教えていただきたいです!
まず、フィンには、ビーフィン(片足ずつ履く2枚フィン)と モノフィン(両足そろえて履く1枚フィン)があります。最初はビーフィンを初めて、それからモノフィンをやる人が多いですかね。あとはシュノーケルを付けるサーフィスと潜水をするアプニアに分かれるなど、実は種類が多いです。
フィンは波の影響を受けやすくて、リレーだと波を利用した作戦など立てます。この前の世界大会はリレーでアンカーを務めましたが、波の影響で危うく失格になるところでした。(※シュノーケルを使う種目は体の一部が水面から出ていないと失格になるルールがあります)
ーいろいろと種類がありますね。松田さんはその中で日本記録を11個も持っていらっしゃいます。
個人競技なので、自分が頑張ればタイムが出せると思っています、水泳とか陸上の面白いところですよね。
ーちなみに、松田さんのモチベーションが上がるポイントはどういったときでしょうか?
私は、自分が速く泳げることにしか興味がないんです。人に勝ちたい気持ちが無いと言ったらウソになりますが、自分のタイムを更新し続けることがモチベーションを上げてくれます。
ー逆にもしタイムが出ない場合、モチベーションが下がるのでしょうか?
下がることはないですね。シンプルに「練習方法が違ったのかな」と思って別の練習に取り組みます。
―アスリートには、いわゆる「PDCA」を回しながら問題解決をする力が備わっていると言われていますが、これはビジネスにおいても必須な力です。まさに今のお話はPDCAを回していると感じました。ちなみに、今まで水泳をやめようとは思うことはなかったんですか?
今まで続けてきたことを辞めることがもったいないと思いますし、今は生活の一部になっているので水泳を辞めるほうが嫌ですね。逆に今まで続けられた理由は、シンプルに泳ぐことが好きだからだと思います。
私、大学の最後のレースで1年生以来、3年ぶりのベストを更新したんです。ベストを出したときに、「私まだベスト出るやん」って思いました。だからこそ、ベスト記録を更新するチャレンジを続けたいと思っています。
ー大学で引退する選手が多い中で、松田さんは今も泳ぐことを続けていらっしゃいます。
個人的な意見ですが、大学卒業を機に引退する人が多いことを不思議に思っています。大学までで活動終了というルールはないですし。
しんどい練習をずっとやらされてきたとか、水泳が嫌いになるまで泳いできたような人、就職先の環境によって継続できなくて辞める人もいることは理解しますが、それでも泳ぐことを続けている人もいるので、できる限りチャレンジしてほしいと思います。
自分の努力は結果につながる
ー大学卒業後は仕事をしながら活動されていたんですか?
新卒でスイミングスクールに就職しました。そのスクールに一つ上の先輩がいて、その先輩を中心に水泳チームを作って、大会へ出場していました。
また、入社した会社がフィンスイミングを応援してくれていたので、競泳とフィンを両方泳いでいました。フィンスイミングを許容してくれるプールはすごく少ないんですよ。安全性の観点だったり、フィンとぶつかってプールが痛むリスクだったり。
両方続けられたのはありがたいことでしたが、仕事を始めて環境が変わりすぎたのか、1年目は全然結果出ませんでした。
ーフィンをはじめてから、結果が出はじめたのはいつからでしょうか?
初めて出場した日本選手権で、同じチームの先輩に負けたことによる悔しさがきっかけですね。
100mビーフィンでの優勝を狙っていましたが、タッチの差で先輩が日本新記録を出して優勝しました。私の中では、「日本新記録。この距離なら私もいける」って思いました。それまであまり「悔しい」とか思うことはありませんでしたが、その時だけは「勝てば私だって日本代表になれたんや」と思ったらめちゃくちゃ悔しかったですね。
また、その先輩は競泳時代の実績も実力も凄かった先輩で、自分を追い込んで頑張ることができる人なので、私も相当努力しなければいけないと覚悟しましたが、「これだけ張り合えたんだからもうちょっとできる!」と思ってがむしゃらにやりました。
ものすごい練習をしたおかげで、その頃から競泳とフィンの良いところがわかってきて、それぞれが互いにいい意味で影響し合うようになってきた2年目からは両方とも結果がでるようになりました。
ー相当努力をされた末に出た日本新記録なんですね。記録が出たときはどんな心境でしたか?
私は「出せる」と思っていましたので、うれしかったですが想定内ですね。50m、100mの2種目で出すことができました。今、2冠を4連覇中ですが、ビーフィンの50m、100mは私の種目だと思っています。ただ、ビーフィンの100mだけは記録を塗り替えられてしまいました。次に向けてベストを出し続けます。 50mのビーフィンは、今のところ全く負ける気がせず、今4連覇しているので、5連覇したいですね!
ー最高に楽しかったレースはいつですか?
2018年の世界大会です。それ以前の大会では、世界の壁は厚いと感じていました。
2018年は日本代表として、初めて決勝に残りました。しかも7種目中、リレーと個人の5種目で残ったんです。個人種目はめちゃくちゃ楽しかったです。レースも予選でベストを更新したんですが、決勝でさらにベストを更新することができました。「また次も決勝で泳ぎたい」って思いましたね。
ー緊張はしなかったですか?大舞台でベストを二度も更新するって、驚嘆です。
緊張はします。でも、緊張して楽しめないほうがもったいない。せっかくの世界選手権の決勝で緊張してガチガチで「何も覚えていません」っていう方がもったいないですからね。
ー一度記録を作れば、次は追われる立場になります。
やるべきことをやっていれば、記録はいつか更新できるし、されると考えています。若い実力のある人も出てきているので、もし記録を塗り替えられたとしても、そのレースで私がベストを出せていたら満足だと思います。でも、めちゃめちゃ悔しいだろうけど(笑)。
ー日々の積み重ねが大切ですね。松田さんは引退を考えていたりしますか?
辞めたくなったら辞める。でも、続けることができる間はやり切ります。応援してくれる人もいますが、わたしの事を理解している方が多いので、私が決めたタイミングで引退しても許してくれると思います。
でも、フィンのことが好きで関わってくれた方々なので、後輩とかを紹介していきたいなと思いますね。私で終わりにしてほしくないです。
フィンは幅広い年齢で行われていて、日本代表の最年長は36歳、最年少は大学1年生です。サラリーマンで仕事終わりに泳ぎに行っている人も日本代表の中でいらっしゃいます。自分でやろうと思えばできる環境はあるので、就職してもできると思います。
ーフィンスイミングの課題はありますか?
まず、フィンスイミングを知っている人がいないです。競技人口が少なくて、まだ全国に2,000人もいないと思います。練習環境も少ないです。安全上の問題やプールの深さでフィンが使えないプールが多いんです。
あとは、競技と生活を並行することも課題です。フィンをやっている人は仕事と競技を両立しています。
日本代表だからって裕福な生活をしていると思われていることが多いんです。競技だけでは食べていけないですし、モノフィンは10万円くらいする高価な用具なんです。足形やフィンの固さなど、フルオーダーで海外にお願いしなければいけない。なので、競技に専念できる環境があればもっと競技レベルがあがると思います。オリンピック種目じゃないとこんなにも環境が悪いんだなと思います。
ーマイナースポーツにはまだまだ課題が多いですね。一つでも改善できるお手伝いができればと思います。最後に松田さんが思う「スポーツ」とは?
スポーツって結局は自分がやりたくてやっているもの。楽しく好きなことをやればいいんじゃないかなって思います。私は現役じゃなくても泳ぐことをやめないです。仕事でもいろいろと経験しましたが、やはりプールでの仕事に戻りました。多分、私が一番自分らしくいれるところがプールだと思います。だから私はプールにいたいです。
―松田さんありがとうございました!今後のご活躍期待しております!