自分で決断するからこそ、自分の人生を良い道へ導く。~元Jリーガー近藤岳登の人生の考え方~
GUEST:近藤岳登(こんどうがくと)
元サッカー選手でサッカー解説者、指導者、タレント。
2007-2012:ヴィッセル神戸、2013-2014:水戸ホーリーホック、2014-2018:FC大阪
2007年、26歳という異例の年齢でのプロデビューから10年以上活躍した元Jリーガー。
引退会見では、「後悔しかない」とサッカーへの夢について語っている。
R-1グランプリ2019へ出場し、セミファイナルまで進出した。
Instagram: https://www.instagram.com/gakuto_kondo/
Twitter: https://twitter.com/gakuto_kondo
※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2020年11月11日に掲載した記事になります。
自分の人生は自分で決める
―近藤さんは一度サッカーや大学を辞めてから再挑戦していると思いますが、高校3年生時に進路はどのように考えていたのでしょうか?
高校3年の時は、高校サッカー選手権出場を目指していましたが、愛知県予選大会で早々に負けてしまいました。
引退後はサッカー以外(ボーリングやカラオケなど)のことができるようになり、毎日遊んでいましたね。こうした日々が続く中「サッカーやりたくないな」と考えるようになりました。
「きっとサッカーよりも面白いことが世の中にはたくさんある」と思って大学受験を考えて沖縄国際大学を受験しました。
高校の監督へ沖縄国際大学を受験することを伝えましたが、「岳登はサッカーを続けろ。絶対にプロになる。もしなれなくても教師として母校へ帰ってきてほしい」という想いを伝えられ、大阪体育大学を受験するように言われました。
結局、沖縄国際大学、大阪体育大学ともに合格をいただきました。私としてはサッカーに対する気持ちより、サッカー以外のことを色々と経験したい気持ちが強かったので沖縄国際大学へ進学したかったのですが、監督からの推薦もあり大阪体育大学へ進学しました。
ただ、入学後もサッカーに対するモチベーションが上がらず、大阪の繁華街で毎日遊んでいましたね。
すると、大阪体育大学の監督から呼ばれ「サッカー部で活動をするか、大学を辞めるかどちらか決めてくれ」と言われました。そりゃそうですよね。毎日遊んでいるわけですし。
私は迷わず「大学辞めます」と伝えて愛知に戻りました。夏はサーフショップでバイト、冬はスノボーをして毎日遊びまくっていましたね。
でも、毎日遊んでいてもサッカーをやっていた時のような心の底から熱くなれる、感情が動くようなことはありませんでした。
もう一度サッカーを始めたら熱くなれるかなという感情が芽生え、愛知県一部リーグのチームでサッカー選手として再チャレンジしました。
ただ、プレーしていると「やるからには極めたい、目指すところはプロ」と考えました。じゃあ、プロになる為にはどうするべきかを考えた時に、再び大学へ行くことが頭に過りました。
実は、大学へ行く理由はプロサッカー選手とは別にもう一つありました。
青年海外協力隊に興味があり、愛知のサッカーチームに所属している時に2回受験しましたが落選しました。こんなにも青年海外協力隊として活躍したいという気持ちが強く、情熱のある人がいるのに、なぜ落選したのか理由を知りたくて事務局へ直接連絡をして質問しました。
すると、「大学卒業または教員免許の資格を持っているほうが望ましい。信頼につながるので(※諸説あります)」とはっきり伝えてくれました。
それで大学を目指すことになったわけですが、もちろん大阪体育大学はいけないですし、進路について悩んでいました。
高校の監督に相談した結果、可能性のある大学は受けてみようと思い、今までの経験を武器にAO入試を使い受験すると合格し入学する事ができました。
今となっては、青年海外協力隊の電話対応してくれた人に感謝してますよ!探し出して御礼を伝えたいです(笑)
ここで学んだことは「他人のレールで何かやろうとしても絶対にダメ!うまくいかない!」ということに気付きました。
大学を辞めたことが正しいとは言いません。両親がせっかく高い入学金や授業料を支払ってくれたにも関わらず、私が辞めたことで本当に苦労をかけたと思います。でも、やりたくないことを他人が敷いてくれたレールに乗っかっても意味がない。
「大阪体育大学をやめたこと」、「サーフショップで働くこと」、「もう一度サッカーすること」、「大学へ進学すること」は全て自分で決断した。
自分で決断したことは絶対にプラスの要素しか生まないし、良い出会いに繋がります。間違いないです。
人生を大きく変えた恩師との出会い
―1期生として入学した大学のサッカー部はいかがでしたか?
実は、大学がサッカーに力を入れることは知らなかったんです。驚いたのはサッカー界では偉大な指導者の松田保先生が監督をやることでした。これを聞いた時は「もうプロになる道ができた」と思いましたね。
この出会いは私の人生に大きな影響を与えています。過去の経験があったからこそ、出会えた縁ですし、自分で決めたことは間違っていなかったと思いましたね。
―サッカーを取り組む姿勢はいかがでしたか?
まず、1期生として入学しているので、必然的に最上学年になりますよね。その中でも私は22歳で入学しているので、必然的に1番上になっていました(笑)
ただ、サッカー部は入学した200名の中で50名いました。つまり、四分の一がサッカー部なんです。つまり、サッカー部がちゃんとしなければ大学の雰囲気も決まってしまうと監督から言われていました。
松田先生はサッカーの技術よりも人間について指導をする方です。
「シュートしたボールがゴールポストに当たった時に、『ゴールに向かって跳ねるか』『自分の所にボールが戻ってくるのか』『全く違う所へいってしまうのか』この結果こそ、お前の生き方だよ。生き方さえしっかりすればボールはゴールに向かう」とおっしゃる方なんです。こういった事を毎日私に言ってくるんですよ。
私は色んな経験を積んでから入学しているので、こういったことを言われるのが納得できなくて、最初は毎日反抗していましたね。松田先生と近藤岳登のバトルが勃発するんです。毎日ですよ?(笑)
私が指導者だったら反抗する選手は試合のメンバーから外すことを考えますが、松田先生は試合でも私をずっと使い続けた上で「今日のプレーがお前の人生だよ」と言ってくるんです。
ある時「なぜこんなにも毎日言ってくるのだろう」と考えました。考え抜いてようやく、私のために本気で伝えてくれていた言葉だと気付きました。これに気付いた時に自分の中でスイッチが入りましたね。
「先生の言うことを受け止める」ことで、同じことを言われても考え方や感じ方に変化が出ましたし、何よりサッカーのレベルも生き方も成長したと思います。近藤岳登を人間として成長させてくれた恩師ですね。今の私があるのは松田先生のおかげです。
松田保なくしてJリーガー近藤岳登はありません。
―近藤さんの決断がすばらしい指導者との縁を作ったんですね。そして、何よりも松田先生との関係性が素敵だと思います。
ヴィッセル神戸へ入団するときに、松田先生は当時のヴィッセル神戸の社長へ「近藤岳登は大学時代、精神的ライバルだった」と伝えたそうです。それを聞いた時に、とんでもない人だなと思いました。
反抗して、無視して、ふてくされる態度を取っていたのに、そうやって思っていたこと聞くと感動したし、器の広さに驚きましたよ。
―松田先生のお話で一番覚えている事は何でしょうか?
今でも忘れられないのが、ヴィッセル神戸の試合を松田先生が観に来てくれた時ですね。プロでは大学時代とは違うポジションで試合に出場しました。
先生から言われた試合後の一言は忘れられないです。「岳登、俺はお前に謝らなきゃいけないことがある。お前がそんなにクレバーな選手だと知らなかった。頭を使える選手だと俺は気付いてやれなかった。もし大学時代に気付けていたら、もっとサッカー選手として成長することができたかもしれないし、凄い選手になった可能性もあった。申し訳なかった」と私に謝ったんです。
感動して言葉も出なかったですね。
本気でプレーヤー、教え子のことを考える人はこういう考え方になるんだなと思いました。私もこの言葉で色々学びましたし、新しいことに気付けました。
松田先生は教育のことを「共育」と考えているんです。共に育つことこそ教育だと。
ちなみに、サッカーに限らずスポーツではあらゆる戦術があると思いますが、一番強い戦術は何だと思います?
―一番強い戦術ですか・・・一番うまい人が活きるようにサポートすることだと思います。
惜しい!けど違う!
キャンプでこの質問を聞いた時、最強の戦術とは何かを考えたけど、結局全部違うんですよ。
最強の戦術は「友情」と松田先生から教えられました。ずっとサッカーをやってきたけど、確かにその通りだと思いましたね。昨年ラグビーW杯で「ワンチーム」が流行りましたが、本当にその通りだと思います。松田先生は「ワンチーム」が流行する前からずっと言っていましたから。
サッカー技術の前に人間関係を作る、そういうことを大事にしろと教える指導者でしたね。
―もし、大阪体育大学を辞めなかったら、サーフショップで働いていなかったら、そして松田先生と出会わない人生だったらまったく違う人生だったかもしれないですね。
想像ができないですね。そこには夢も希望もないと思います。そういう意味ではすべての出会いが偶然のようで必然だったのかな。
そして、もう一人学ばせて頂いたのは大阪体育大学の監督です。違う大学に行った私を関西選抜の選手として選んでくれたんです。
一度辞めた選手を普通選びますか?器の大きい方でした。
『Jリーガー』の肩書を胸に!
―話題を変えますが、Jリーガーを引退される決断をした理由はなんでしょうか?
現実的に厳しいと感じたからですね。
もともと膝が悪く、膝の名医と言われるドクターから「もうサッカーができる膝じゃない。手術が必要になる」と言われ膝の軟骨移植手術を受けました。
なかなか復帰できずにいて、最後の最後に「0円でもいいからチームに復帰したい!」と当時の監督へ熱意を伝えたところ、監督からは「岳登が望むなら試合に出したい」と言われました。
ただ、あくまでもプロ選手として活躍したいという想いから「0-0や緊迫した状況で近藤岳登を使いたいと思えるレベルに達したら試合に使って下さい」と伝えました。
正直、こう言えばどこかで使ってくれると思っていたんですけど、本当に使ってもらえなかったです(笑)
お金を稼げないサッカー選手は、引退しなければいけないという現実が目の前に現れました。
実際に、引退を決断しましたが、本当はサッカーを続けていたかったし、次の日を迎えたくないと思う時もありました。サッカーだけをやっていた人生が一番幸せだと思っていたんです。
―引退会見はニュースになっていましたね。引退時に「後悔してないです」というアスリートが多い中、近藤さんは「後悔しまくりです」というコメントを残していたのは印象的でした。
後悔しかないですよ!日本代表にも入れなかったし、W杯に出れなかったし、FWとしても試合に出られていないし。
こんな性格の私が思うんだから、みんな引退はめちゃくちゃ辛いと思うし一度人生が終わる感覚だと思いますね。
人生を懸けて仕事をすることなんて、おそらく一度か二度しかないと思いますが、その一回目が終わったなという感じです。
今後、こんなに熱くなれることはないかもしれないと思う反面、チャレンジすればサッカー選手を越える人生が待っていると思っています。矛盾していますが。
自分が「やろう」と決めて、責任を持ってやることが楽しい人生の第一歩になると思いますね。
次のキャリアでは、私より活躍したJリーガーたちが「羨ましい」と思う立場になりたいと思っています。
嫉妬心や後悔から来たこの気持ちが今の原動力になってますね。
9月にJリーガー限定のオンラインサロンを立ち上げました。
キャリアについてクローズされたJリーグの世界で、Jリーガーとして「自分の価値」を上げるためにJリーガーの肩書を使って今のうちに行った方がいいことを伝えていこうと考えています。今後の人生を考えるきっかけ作りにできるサロンにしたいと思っています。
Jリーガーがよく言う「サッカーしかして来なかった」というマインドは捨てさせたいんですよね。
引退後、やることがないから各プロチームのアカデミーやスクールコーチになる選手がたくさんいます。でも、子どもたちはそんな人に教えてもらって嬉しいのかなと疑問に思います。
中途半端な気持ちしか持たない選手が指導しても良い選手が育つはずがない。であれば、Jリーガーになれなかったけど、子どもたちへの想いを持っている指導者の方が熱い良い指導をすると思いますね。
私は、Jリーガーはサッカー以外でも一流になれると思っているんです。何故ならやり続ける力があるから。人より夢中になる力を持っているから。こういった事をJリーガー全員に伝える活動をやっていきたいと思っています。
―「●●しかやったことがない」という考えは、多くのスポーツ選手に共通する勿体ない考え方だと思います。他に必ず輝ける場所がありますから。近藤さんはこの考えになったのは何かきっかけがあったのですか?
大きな転機はR-1グランプリへ出場したことだと思います。ちなみに、私はR-1グランプリのセミファイナリストです(笑)
梅田花月のこけら落とし公演で、10分間フリートークの場があり、サッカーW杯について話してくださいと言われ時に、W杯は面白くないと思ってJリーガーのお金について話したところお客さんにめちゃめちゃウケたんです。その光景を見てたマネージャーから「R-1出場しましょう」と誘われ出場を決めました。
「やるからには優勝したいからその心意気でやるよ」と伝え、期間中はどの芸人さんよりも練習しましたね。マネージャー中心に協力いただく方を集めてずっとミーティングしましたし。
だからセミファイナルで敗北した時はめちゃめちゃ悔しかったですよ。ファイナルまで行けたら良いなと思っていたので。
こういう時でもアスリートの経験が活きてくると感じました。勝つためにストイックに行うことや納得の行く準備をすることは、やっぱり自分はアスリート気質だなと思いましたね(笑)
でも、元JリーガーがR-1グランプリ1回戦を突破しただけで、メディアが私のことを大きく取り上げてくれて、yahoo!ニュースにも掲載されました。他の芸人さんだったらこんなことはないですよね。
この時思ったのが『元Jリーガー』という肩書が近藤岳登に大きな付加価値を付けてくれていると感じたんです。そして、多くのJリーガーは勿体ない生き方しているなと。だからJリーガーという肩書きを使って、自己プロデュースすることが大切だと思うんです。
「自分がサッカー以外でワクワクできることをやりなさい」ということを現役Jリーガーには伝えたいですね。
今はSNSのフォロワーを増やすことだけ考えても面白いと思いますし、引退後は起業するなど挑戦する姿を見せて、活躍する人がいればと思っています。Jリーガーがたくさんいる上場企業の社長になるとかも面白いと思うんですよね。
自分に向き合いストロングポイントに気付くことができるか、今ある可能性をどれだけ広げられることができるかが重要だと思います。
そのためにも引退したJリーガーとして今後も挑戦し続けたいなと思います。
―近藤さん、ありがとうございました。