驚異のWリーグ11連覇!JX-ENEOSサンフラワーズの石原選手がバスケから学んだ大切なものとは。
GUEST:石原 愛子(いしはら あいこ)
JX-ENEOSサンフラワーズに所属するバスケット選手。東京成徳大学高校から、2011年日立ハイテクへ入団。2016年よりJX-ENEOSサンフラワーズへ入団し活躍中。2018-2019シーズンでは前人未到のWリーグ11連覇を達成。ポジションはフォワード。コートネームは「アコ」。
今回はJX-ENEOSサンフラワーズで活躍されている『石原愛子選手』へバスケへの想いをお聞きしました。
※本記事はnote移行前の旧SPODGEで2019年5月15日に掲載した記事になります。
バスケとの出会い
―はじめにバスケットボールを始めたきっかけを教えていただけますか?
よろしくお願いします。私がバスケを始めたのは6歳離れている姉の影響で、小学校4年生の時に始めました。 小さいときから親に連れられて試合を見に行っていたので、当たり前のように「自分もバスケットをやるんだ」という感覚でした。
小学生の時に所属していたのは弱小チームで、市内でやっと勝てるようなチームで楽しくやっていました。
一度、中学校入学前に、バスケをやめてテニス部へ入ろうかなと考えた時期もありました。ただ、高校生の姉が出るバスケの試合を見に行った時にすごく刺激を受けて、めちゃめちゃかっこいい、しかもそこに姉がいるとなると「やっぱりバスケなのかな」と思って、そこから今までバスケ一筋ですね。
中学生では、入学した時は164cmくらいで「ちょっと身長大きいね」くらいだったんですが、中学校卒業の時は174cmまで大きくなり、おかげ様で身長で選抜にも選ばれました!
―高校はバスケットの名門の『東京成徳大学高校』へ進学されました。強豪となると厳しい環境があったと思います。思い出のエピソードを教えてください。
下坂先生(監督)はめちゃくちゃ怖くて厳しい人でした。指導の仕方も。
例えば、リバウンドが取れなかった時は、「そんなんじゃ階段のゴミとか落ちてても見つけられないでしょ!」とか、「後輩が出したパスは先輩なんだから必ず取るでしょ!!」みたいに人間性の部分と合わせて指導される方で、叱り方が独特でユーモアのある先生でした。あとは、汚い手を使うと怒りが頂点になりますね。「卑怯な手は絶対使うな」という教えでした。
ただ、叱るのではなくて、1回目は注意、2回目は警告。3回目は「アウト~!」みたいに自分たちに考えさせるような先生です。
生徒たちは「自分の為」って分かっているから、下坂先生の指導には理解があったと思います。
あれだけ厳しかったのに、OB,OGは先生のことを嫌いな人はいないと思います。
―すばらしい指導者ですね。
先生の指導で印象に残っていることがあります。他校と合同練習した時は、他校の生徒に対して私たちから普段の練習メニューを教えさせるんですよ。マンツーマンで、自分が担当した子に全部教えなきゃいけないので、めちゃくちゃ時間かかるんですよ。足のステップとかメニュー一つひとつがとても細かいので。
でも、この経験が一番大きく影響を受けたと思います。教えることで自分も理解できますし伝え方とか学んだと思います。
あとは、「仲間のために身を粉にして戦え!」と強く言われました。よく、「5人でやって1つのバスケ」と言われたことを覚えています。
成徳に入って、自分の成長になったし、今の私があるのは先生の指導があったおかげだと思います。
社会人としての責任
―高校卒業後に実業団へ進みましたが、社会人を目指すようになったのはいつ頃からですか?
本当は大学へ進学したかったんです。高校生活がめちゃめちゃ厳しかったので、大学生では程よくバスケは楽しんで大学ライフをエンジョイしたいという思いで、先生に進路の予定を出したら、「駄目です。実業団へ行きなさい。」みたいな感じで言われまして。そもそも自分に自信がなくて、実業団でバスケができると思っていませんでした。
ただ、先生から「大学に行って学びたいこともないのに、早く社会人になって親孝行しなさい」と言われたときに自分の中で「ハッ」となりました。
確かに大学へ進学するとなったら「親にお金を出してもらう」とかいろいろと考えると、早くに社会人という世界に行けるのであれば、バスケをしてお金をもらうことが親孝行だなと感じたんです。そう考えると社会人がかっこよく感じ始めて。声を掛けていただいているチームもあったので社会人へ進みました。
―すばらしい決断ですね。その後、日立ハイテクへ入団しましたが高校と比べて練習などいかがでしたか?
一か月で後悔しました。きつすぎて・・・(笑)バスケが仕事となると体も鍛えなきゃいけない、食事の管理などプレー以外のことも考えることが仕事なので。ラントレもメニューにあって、高校時代は走ったりとかしなかったので、私からすると地獄でした。
入団当初は震災があったので茨城も被害が大きく、体育館が壊れてしまったので、入団して最初の3か月は山梨の練習場で社宅を各部屋3人ずつ振り分けて暮らしていました。テレビも無いですし、練習して寝るという生活の繰り返しでした。
でも、多くの観客がいる会場や音楽がある中でバスケットをすること全部が新鮮で楽しかったです。あとは、栄養士さんのサポートや備品関係など、バスケをする環境は高校と比べてもよかったですね。ありがたい環境です。
―日立ハイテクを退団してからJX-ENEOSサンフラワーズへ入団するまで1年間のブランクがありますよね?この1年間は何をされていたんですか?
やはりこの話は聞かれますよね(笑)
当時は「スポーツをやっているからという」理由でスポーツジムのバイトをやっていました。日立ハイテクは次にやりたいことが明確にあったわけでもなく辞めてしまったので、とりあえず「働かないといけない」と思い始めました。結果的にスポーツジムで約半年くらいバイトをしていました。
プールの監視員とフロアの仕事の時は、おばあちゃんとかと話しをしていて、話し相手みたいな感じでした。「あの身長高い子面白いね」と言ってもらえたり、すごく楽しかったです。いろんな人と関わるのが好きなんです。辞める時とかは常連の人たちが「ご飯食べ行こう」ってプチ送別会を開いてくれました。
バスケ以外の仕事をしたことがなくて、バイトにすごい憧れがあったので、いい経験ができてよかったです。 お金を稼ぐことが大変だと再認識しました。
―燃え尽きたような感覚ですか?
不完全燃焼です。でも、一回バスケットから離れたいと思いました。
日立ハイテクを辞めた時は「もうバスケットはできない」と思っていました。日立での4年間はすごく楽しかったですし、良い経験もありましたが、なんかその中で自分の気持ちが切れちゃって。
当時はチームが勝つのはすごく難しくて負け続けることが多かったんですけど、その負け続けている中で悔しさを含めて何も感情もなくなっちゃって、それがすごく大きくて「あっ、だめだな」と思ってスパッとやめることを決めました。
最強チームでのチャレンジ
―その後、現在のJX-ENEOSサンフラワーズに入団されていますが、入団した経緯を教えていただけますか?
当初、大崎さん(旧姓:間宮さん)、あと吉田亜沙美さんなど高校の先輩が所属していて心配の連絡をいただくなど、いろいろな人に声を掛けてもらいましたが、すべてお断りしていました。一度バスケを離れた身ですし、優勝が常連のチームに声をかけてもらうのが嬉しかったんですけど、すごく不安で断っていました。
ただ、先輩に会って話を聞いた時に「今しかできない」ということが一番大きくて、「今はバスケ以外の仕事をしたとしても、それは何年先でもまたできる。だけどバスケットは今しかできないから」と言われて本当にそうだなと感じました。
そこで、ありがたいことにチームから声をかけていただいたので挑戦しようと思いました。なんか自分が「ここで、こうなりたい」というよりは、「やってだめだったらしょうがない」みたいな気持ちで、とにかく自分ができることをやろうというチャレンジャー精神で入団しました。
―結果的に11連覇ですからね。驚きです。
自分が選んだ選択に全く後悔はしていないです。辞めたことを後悔しないし、日立ハイテクの4年間はいろいろとあったけど、入ったことも辞めたことも後悔してないから自分的には結構前向きに考えているかなと思います。
―さて、改めてWリーグ11連覇。おめでとうございます。JX-ENEOSサンフラワーズの強さの秘訣を教えてください。
本当にたくさん練習するチームだなって思います。ハイテクでもすごくたくさん練習したし、その他のチーム移籍したことがないのでわからないですけど、自主練とかバスケの練習外でもそれぞれがすごく努力していると思います。
やっぱり入団前は渡嘉敷さんや吉田さんというメンバーがいる中で「個人技はすごいし、そりゃあ勝てるだろう」って正直思っていました。
でも、入団後にチームとして一緒に行動していると意識の高さや責任感の強さなど、3年間ですごく感じました。一人一人が強いからとか、天才的なプレーヤーがいるとかではなくて本当にすごい努力をしていると思います。
努力という言葉でまとめると簡単に聞こえてしまいますが、11連覇するにはちゃんと理由があるし「それほど練習してるしね。」と自信をもって言えるぐらい大変ですし、みんな頑張っていますからね。
選手もファンも「楽しむこと」が大切
―実際にプレーをしている中で女子バスケットボール界の課題はありますか?
メディアへの露出が増えればいいかなと思います。女子バスケは女子サッカーや女子バレーに比べるとマイナーなイメージがあるので。
男子はBリーグ開幕や千葉県周辺だと千葉ジェッツとかすごく盛り上がっていますけど、女子もメディアに出てほしいなと思います。渡嘉敷さんはよくテレビに出ていますが、他の選手がもっとメディアへ出ていいと思いますし、女子バスケ選手が当たり前のようにいろんなテレビに出てもいいんじゃないかなと思います。
そうしたら全くバスケットをやってない人達でも、「この人知ってる!」とか「かっこいい、かわいい」など認知度が上がりますし、きっかけは何でもいいと思いますが試合を見に来てもらえればいいと思います。
―バスケの魅力は試合会場に行くとさらに感じることができるということですね!
バスケットのプレーはもちろんですが、ライブ感覚じゃないですけど、会場の盛り上がりを肌で感じて、「また来たい」と思ってもらえることが重要だと思います。
プレーをしている側としては、会場に来て楽しかったと思ってもらうことがうれしいので、試合会場に足を運んでもらえる人がどんどん増えればいいなと思います。
―なるほど。会場の声援が選手のパワーになりますよね。バスケを通じて、良かったと感じることはありますか?
人脈や出会いが増えたことですね。これまで戦ってきた友人や、JX-ENEOSサンフラワーズのメンバーとかそうですし、すごくいろんな人達と関わることができました。バスケットをやっていない人でもちょっとした接点で仲良くなれたり、私にとって人の繋がりというのはバスケットがあってこそかなと思います。
―先日、女子バスケ界ではビッグニュースがありましたよね。チームメイトであり、高校の先輩でもある吉田亜沙美さんが引退されました。チーム、そして個人的にも大きな存在だと思いますが、石原さんはどう思いましたか?
単純に寂しいです。プレーは3年間しかできなかったですけど、本当にたくさんのことを学びましたし、高校の先輩で、可愛がってもらったのでとにかく寂しいですね。
もっとプレーを見たかったなと思いますけど、今は本人の意思を尊重したいと思っています。寂しいけど「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたいです。
―アスリートに対しては失礼にもあたる質問ですが、ご自身の引退については考えることはありますか?
年齢も重ねて、良いお年になってきたと思うんで、体力的な面でも近いのかなと思うんですけど、まだあまり引退は考えていないです。一年一年を頑張ろうと思っているので。
私ぐらいの年齢から少しずつ辞めてく人が増えていくので、引退後のことをちゃんと考えないといけないかなと思っています。
高卒で実業団へ入ると、競技を辞めてチームの運営会社にも残りませんとなった時、その後の人生ってなかなか探しにくいですし大変だと思います。実際に私もすごく大変でした。
スポーツフィールドのように支援してもらえる環境があることはありがたいですよね。スポーツしかやってないとなるとセカンドライフについて考えていないですし、「何を見つけたらいいか分かんない」という状況になりますからね。
実業団に入団する時に「引退後のセカンドキャリアまでも考えていますよ」という環境がチームにあれば、選手継続をあきらめて途中で辞める選手がいなくなると思いますし、新しい選手も来てくれる環境ができると思います。JX-ENEOSサンフラワーズの場合は、本社にOGがコーチとして行うクリニックチームがあるんですよ。
―素晴らしい環境ですね!さて、質問も最後となります。今、バスケを頑張っている方へ向けてメッセージをお願いします!
シンプルにバスケットを楽しんでほしいと思います。自分で目標を立てて「こうなりたい、ああなりたい」とか、すごく良いと思うんですけど、「楽しい」という気持ちがなければ続けられないと思います。何事もそうですが、とにかくバスケットボールというスポーツを楽しんでやってほしいです。
別に結果がどうであれ自分の中ですごく楽しめたなら良い方向に進んでいくと思うんです。すごく辛いこともあると思いますが、楽しいことがあるから続けられると思います。私も一度はバスケから離れましたがきつくて苦しい時もあるけど、やっぱり楽しいから今まで続けられていると思うので、単純に「楽しむ」気持ちを大事にして欲しいですね。
―石原さん、本日はありがとうございました。