見出し画像

ロンドン五輪日本代表江里口匡史はスプリンターからビジネスパーソンへ。今も走り続ける。

GUEST:江里口匡史(えりぐちまさし)

元陸上競技選手で、専門は短距離走。熊本県菊池市出身。熊本県立鹿本高等学校、早稲田大学スポーツ科学部卒業。大阪ガス所属。
早大時代の09年に10秒07をマーク。日本選手権は09年から12年まで4連覇を達成。ロンドンオリンピックでは400メートルリレーで第2走者を務め、4位入賞を果たした。


オリンピックで活躍し、現在はビジネスマンでも輝く江里口さんへ、社会でアスリートの力が発揮できる時、アスリートの価値をお聞きしました。

※本記事はnote移行前の旧SPODGEで2020年10月27日に掲載した記事になります。



「かけっこ」の世界から、日本トップのスプリンターへ

―江里口さんの陸上人生を振り返ってみたいと思います。まず、陸上を始めたきっかけを教えていただけますか?

陸上を始めたきっかけは、純粋に走ることが楽しかったからですね。

小学生の頃から走ることが得意で、人よりも速く走れたことが楽しかったですし、うれしかったことを覚えています。

でも、小学生、中学生時代は、全国大会出場などの経験はありませんでした。

―江里口さんはいつから陸上選手として、トップを目指そうと考えたのでしょうか?

陸上の記録を伸ばしたいと思い始めたのは中学3年生の時ですね。当時、パリ世界陸上200mで銅メダルを獲得された同じ熊本県出身の末次慎吾さんを見て、自分の中でスイッチが入りました。

ただその時は、漫然と速くなりたいと思うだけで、やっと花が開いたかなと思い始めたのは全国大会に初めて出場した高校2年生でした。

全国大会出場後は記録が伸びてきて、これまで何となく好きで続けていた陸上をもっと突き詰めたいと考え始めました。

その後、高校3年時のインターハイは100m、200mのランキングは1番だったものの、ケガで準決勝敗退という残念な結果でした。その後、国体で初めて全国優勝しました。

大学は早稲田大学へ進学したのですが、地元熊本を出るからには、陸上で日本代表を目指そうと覚悟を持って大学へ進学し、進学後にインカレを4回優勝しました。

もともと、陸上選手は高校までで終えようと思っていましたが、気が付けば20代後半まで活動しましたね。

好きなことを突き詰めているうちに記録を伸ばすことができ、結果的に日本代表になる事が出来ました。一生懸命競技を続けることで、花開いたと思いますね。

―江里口さんは「走るフォームがきれいだ」と陸上選手からお聞きしました。このフォームもトレーニングされた結果なのでしょうか?

ランニングフォームは僕の自慢です。
もちろん速く走るためのトレーニングもしましたが、自分が一番早く走ることができることを考えたら自然ときれいなフォームになっていました。

きれいに走ることは速く走るための一つの方法ですから。

もし、陸上にフィギュアスケートのような芸術点があれば、歴代最高得点を獲得する自信があります(笑)

結果や実績は大切。でも、それ以上にプロセスが大切。

―ぜひ、江里口さんへお聞きしたいと思っていた質問をさせて下さい。日本人における9秒台への壁は大きいものなのでしょうか?

今は3名の選手が9秒台の記録を出し、10秒00も2名います。

9秒への壁は大きかったはずです。誰もが挑戦し続けて出せなかった10秒00の高い壁を桐生選手がやっと越えてくれました。その後、サニブラウン選手、小池選手も越えましたよね。やはり、大きな壁はあったと思います。

壁というよりも夢、目標ですよね。

世界で戦う上で、自分のステータスみたいな意味でも9秒台という記録はスプリンターの中でも特別なものだと思います。

大きな試合になると自分を見失ってしまうことがあります。その中で、9秒台という記録は自分に自信を持たせてくれるでしょうし、他の選手からの見られ方が変わってきます。自分のレースがやり易くなる武器になりますね。

―なるほど。タイムは精神的な支えにもなるのですね。

そうですね。自分のタイムが悪いレースでも、不思議と実力通りの順位になったりすることもあります。
反対に自分より良いタイムを持っていたり、実力がある人が同じ組にいるだけで、レースをコントロールされてしまうこともあります。9秒台の記録は世界で戦うために欲しいですね。

―レースに対するメンタルのお話がありましたが、江里口さんは試合を迎えるまでのルーティンなどありますか?

僕は決まったことはしなかったですね。決まったものを作ってしまうと、それが出来なかった時、「もう駄目だ」と気分が落ちてしまうと思うので。自分は良いイメージしか持たないようにしています。マイナスな行動をしない。

スポーツ選手の中で言われますが、「徳を積み重ねて、運を溜める」ことを行っています。自分にとってマイナスになりそうだなと思うこともやりません。落ちているゴミを見て見ぬふりをするとか、否定的な言葉を使うなど、マイナス要素を一切排除しますね。

陸上をやっていた時は全部のことが気になっていました。競技者の時はいつも気を張りつめていたと思います。

―少し話題を変えますが、以前、体操の沖口誠選手(北京オリンピック団体銀メダリスト)が「金メダルを獲得した選手と銀メダル選手は大きな違いがある」と仰っていました。江里口さんは金メダルと銀メダルには大きな違いがあると思いますか?

純粋に競技そのものが好き(で表彰台は関係ない)という選手もいると思いますが、一つの側面として、メダルを獲得した/していないということは自分にも周りにも影響はあるなと感じます。

オリンピックや世界大会では、メダルを期待されていますから選手はプレッシャーを感じています。ある種コンプレックスに近いものを持っている人もいると思いますね。

僕はオリンピックのリレーも世界陸上のリレーも4位ですから、メダルに対する想いというか、羨ましさは人一倍強いと自分では思っています。

でも、引退してからは4位でもよくやったと思うようになりました。自分の成績を客観的に評価できるようになったと思います。

現役の時だったら、上を目指すことが当たり前だと考えていました。オリンピックに出場するならメダルを獲得したいし、メダルなら「銀より金」という目標を持っていましたが、引退してからは終わってしまったことに対して自分がどういう風にあるべきかを考えました。

「メダル取れなかったんです」と嘆いたところで、聞いている人は面白くないですし、記事を読んでいる人も楽しくないと思うんです。

だからこそ、自分は十分すごいと思うようにしました。4位という結果に対して、どういったプロセスがあるのか、陸上に対する想いや考えはどのようものだったのかを伝えていくことが大切だと感じました。

実際、子どもたちと接する機会があるのですが、自分の実績を説明して子どもたちの前で走ると、とても喜んでくれます。

子どもたちには実績などそれほど関係なくて、アスリートが来て、目の前で走りを見て、一緒に体を動かしたことがハッピーな経験になっていると感じました。

アスリートから、ビジネスパーソンへの決断。

―現在、営業というお仕事をされておりますが、仕事を決める上で、判断基準のようなものはありましたか?

この判断は難しかったですね。現役を引退してから社業に戻り、今の仕事に就くまで2つのきっかけがあります。

1つ目は、陸上関係の仕事に就くイメージが持てなかったことです。世界のトップを目指す事が自分にとっての陸上競技であり、その中で目指していた試合が東京オリンピックでした。引退後、その舞台を目指す選手のサポートができるかと考えた時に、心情的に正直できないなと思いました。

2つ目は競技を辞める時にいろいろな方に相談したのですが、当時同じ部署だった大阪ガス野球部の監督へ相談した時に「まずは会社のことを学んでから次のステップを考えることも、江里口のためになるんじゃないか」という言葉をいただきました。

その話がすごく腑に落ちて納得できました。僕はアスリートのキャリアを活かし、将来は陸上界やスポーツ界のために自分の能力を発揮できる人財になりたいと思っているのですが、その前に組織に入ってビジネスパーソンとしての仕事をやってみることが良いことだと思ったんです。

現在は、希望通り、営業職として勤務しています。

―営業活動中にスポーツ経験が活きた経験はありますか? 

コミュニケーションはスムーズにできていると思います。スポーツの話題でお客様との距離感が近くなり、仕事について学ばせていただくこともあります。

スポーツの話題は会話が弾み、場が和みます。自分の経歴に興味を持っていただくことで、ただの「元アスリートのガス屋さん」が来ただけではなく、一人の人として接していただけると感じますね。

人生は「積み重ね」。アスリートとビジネスパーソンはどちらも同じ一つの人生。

―セカンドキャリアを迎えたアスリートは、競技と仕事のギャップで悩んでいる方がいると思います。

僕もこの一年ずっと悩み続けています。

スポーツに打ち込んできた人生からビジネス界へ飛び込み、自分が想像していた以上にできないことが多くありました。今までの自分が通用しないんです。楽しいことはありますが、ルールが違う中で目的・目標に向かって動いていくことはまだまだ難しいと感じています。

ただ、僕は陸上をしてきた人生を大切にし、その上に今のキャリアを乗せていいと思っています。決して別々のものではないんです。

以前は、陸上は陸上、会社は会社と別に考えていたので、できないことだらけで気持ちが落ち込むことが多くありました。陸上とビジネスパーソンを別の軸と考えて、新しいものを積み重ねていこうとしていたのですが、一つの軸に乗せた方がいいはずなんですよね。

うまい具合に自分の経験に積み重ねていけば、その後の活動もしやすいと思います。自分の中で考えを変換して、ゼロからのスタートではなく自信を持って次のキャリアに向かうことが大切なことだと思います。

―競技者の自分に当たるスポットライトがセカンドキャリアの自分に変わるだけで、競技者の経験を仕事でも活かすことがアスリートに必要なことかもしれませんね。もしかしたら、実業団などを抱える企業がスポーツチームを支援する理由の一つかもしれません。

そうですね。そして、選手も企業に支えられていることを意識するべきだと思いますね。

営業で活動することで気付くこともたくさんあります。今まで陸上部を支えてくれていた資金はどこから来るお金なのか、今は理解することが出来ました。

社会人スポーツで活動するアスリートもプロという自覚を持ってほしいです。

現役時代は、競技で成績を残すことに必死だと思います。もちろん、全力を注いで競技に取り組むことが恩返しですが、企業や地域など支えてくれている人のことも忘れずにアスリートとしての価値を発揮して欲しいですね。

今のアスリートや学生アスリートは、自分の価値について考えている方が多いと思います。SNSなど情報が手に入りやすい時代になり、若手アスリートも勉強していると思います。もしかしたら、自分の価値を考えることはキャリアを考える第一歩かもしれませんね。

―最後の質問になります。競技を引退し、セカンドキャリアで活躍する江里口さんですが、たくさんの困難を乗り越え、また、多くの悩みを解決してきたと思います。この記事を読んでいる方も、もしかしたら悩みを抱えているかもしれません。江里口さんだからこそ伝えられるメッセージをお願いいたします。

競技を引退して仕事をしていますが「自分もまだ悩んでいます」というのが正直なところです。

キャリアは積み重ねだと思うので、いくつかある選択肢の中から一つ取ってみて、違ったらまた次の選択肢を選んでも良いと思うんですよ。最適解を探しすぎて、悩んで立ち止まってしまうくらいなら、選択肢の中で比較的納得のいく道を選んでどんどん進んでいくべきです。

僕は最終的にスポーツの為に恩返しをしたいと考えていますが、今は自分に足りないものを身に付けている途中だと思っています。

自分がやってきたものを積み重ねて大きくすることで、自分の経験が最終的に何か形になると思いますから。