原点は恩師、常総学院の木内監督にあり。元巨人の仁志選手は今、U12監督として指導者としての道を歩む。
GUEST:仁志敏久(にし としひさ)
元プロ野球選手であり、野球指導者。常総学院高校、早稲田大学、日本生命を経て読売ジャイアンツに入団。引退後は解説者、侍ジャパンのU-12(小学生以下)の代表監督を務める。
常総学院高等学校時代は、全国高等学校野球選手権大会での準優勝を含め、3年連続でレギュラー出場。早稲田大学、日本生命を経て入団された読売ジャイアンツでは、初年度から新人王を獲得するなど、長く野球界の第一線で活躍された、言わずと知れた名選手です。
引退後は解説者、筑波大学大学院修了、侍ジャパンの内野守備・走塁コーチなど幅広くご活躍され、現在は侍ジャパンのU-12(小学生以下)の代表監督にも就任され、教育と指導見地から育成に尽力されています。
暑さの厳しいお盆は甲子園真っ盛りですが、本日台湾にて開幕した第10回 BFA U12アジア選手権にて、監督としてちびっ子侍ジャパンを率いていただいている仁志さんにお話をお伺いしました。
※本記事はnote移行前の旧SPODGEで2018年8月13日に掲載した記事になります。
恩師との出会い
―仁志さんが野球を始められたきっかけについてお話頂けますでしょうか
僕は、小学校4年生から野球を始めました。
個人的には今でもそうあるべきだと思いますが、僕らが子供の頃は、4年生からしかスポーツ少年団は入ることが出来ませんでした。
この仕組みの良いところは、低学年の頃に、様々なスポーツをする準備が出来る。野球をやりたい子は野球をやって遊び、その中でもっとやりたいという気持ちが生まれた子が4年生から野球チームに入る。僕も最初は遊びで野球をやっていて、もっとやりたいと思い4年生から始めました。ちなみに、野球を始めたばかりでしたが、プロ野球選手になることは「目標」ではなくて、「なれるもの」 だと思っていました。
―「なれるもの」。すごいですね。
このまま自分は、プロ野球選手になる為に、こういう道を自然と歩いていくんだな、と思っていました。小学校5、6年生の頃は、父親に星一徹のような真似をされて、朝から晩までずっと練習をやらされていました。でも、それもプロ野球選手になる上ではしょうがないな、と思っていましたね。
ところが中学生になって野球部に入ると、相手チームに凄い選手がいて、「あー、すごいなぁ、こういう人達がプロに行くのかな」と、思うこともありました。
周りにはいろんな考え方の人がいて、高校に入るための受験勉強もあり、(プロになるということに)少し「あれ?」と思い始めた頃でした。それでも野球の実力は伸びていたので、そうは言ってもやっぱりプロ野球選手になれると思っていました。おかげで不良になることもなかったですね、喧嘩したら高校行けないと思っていたから(笑)。
高校(常総学院)に入ったことも偶然でした。自分が常総学院という高校に行きたかったわけではなく、たまたま友達のお父さんが紹介してくれて、自分の野球を監督に見ていただきました。
―木内監督との出会いですね。
そうです。自分の野球人生において、やはり木内監督に出会ったことが、一番影響があったかなと思っています。
大体の人にとって、高校が野球を真剣に始めるスタートで、自分も硬式の球を握ったのは高校野球が初めてでした。
木内監督に出会って学んだこと、身に付いた考え方というのは、その後プロを終えるまでにも様々な葛藤を生むきっかけとなりましたし、プロの世界でも周りと考え方が合わないことがありましたね。
―当時、木内監督からどのようなことを学んだのでしょうか?
「野球界の一般的な常識を常識とせず、常にその状況に合った答えを出すことが常識だ」というように考えていましたね。何か考えがあるのであれば黙るな、と。
おとなしいとか、言われたことしかやらないような、指示を待っているだけの選手ではいられませんでしたね。
僕ら常総学院の野球部員は、そういう教えで育ってきたので、意見がある時には、きちんと伝える。常総学院では当たり前だったことでしたが、大学、社会人、プロの世界で野球をやっていく中で、周りは考え方が違うなと感じることも多かったですね。
野球においても、先を考えて動く、臨機応変に発想するとか、勝つためにどうすればいいか、ということを常に考えて自分から動くことが求められていたので、サインの指示を見て、何も考えずサイン通りにただ動くようなことは、あまりありませんでしたね。
―木内監督といえば、十中八九バントという場面でも、強行策を取ったような話はあまりにも有名ですね?
そうですね、バントのサインが出たからといって、そのまま受け取ってバントしたら怒られます。
バントのサインの後に、相手がバントシフトを敷いて内野が前に出てきたら、バントという選択はバツになる。教えられていなくても、状況をみて最善の手を自分で考えようと。
―考える野球ですね。今の時代では、主流になりつつあるかもしれませんが、当時だと、非常に革新的な指導だったのではないでしょうか
そうですね。今でも、選手の自主性を大事にする監督は比較的若い方に多いようなので、木内さんのような年配の監督がそういうことを認めてくれる、ということは大きなことだと思います。
プロ野球の世界へ
―その後、社会人野球を経てプロ野球の世界に変わりした。
プロに入るまでは、プロに入るためのことしか考えていませんでした。
社会人の時は、試合では金属バットを使用していましたが、練習では、ほとんど金属バットを使わず、ずっと木のバットで練習していましたね。
プロに入ってからは、本当に毎日毎日、色んなことがありました。落ち着いて野球をやっていた記憶がないですね。打順が1番ということもあり、自分のバッティングの調子よりも、どんな形でも良いからとにかく塁に出なきゃいけない、と思ってプレーをしていました。
当時は予告先発という制度がなかったので、投手のローテーションから翌日先発するだろうと思われるピッチャーを想定していました。前日の夜に、そのピッチャーを思い浮かべて、初球は何で入ってくるのか、ストレートで入ってくるとしたらそれを打つのか。見逃したら次に何が来るのか。というようなイメージを、一打席目の全カウント分考えていました。こんな生活を毎日毎晩していたので、それにずっと追いかけまわされていましたね。
現役時代の最後に、アメリカの独立リーグに行きましたが、その時ほど純粋に野球を楽しんだことはなかったですね。
―仁志さんはメジャー(海外)志向が強いイメージがありました
アマチュアの頃から国際試合に出ていたので、海外で野球をやること自体に楽しさを感じていました。当時の日本代表チームは、今のようにプロでなくアマチュアでチームを作っていて、大学の時から年に1回か2回は海外遠征をしていたので、海外でやりたいという気持ちはプロ入り前から持っていました。
横浜で野球を終える時に、ひとつやり残したことがあったなぁ、ということで2010年からアメリカに行きました。
アメリカでの野球は、子供の時以上に楽しかったかもしれません。毎日グラウンドに早く行きたいという気持ちがありましたし、グラウンドで仲間に会うのも楽しみでした。駐車場に車を止めて球場に入る間に目に入るグラウンドの芝生を見て、今日も一日が始まるなぁ、と。
―キャリアの晩年でもそう思えることが素敵ですね。今、U-12の監督をされている中にも、木内さんの影響はありますか
指導者としての根底にはあります。指導者を始めた頃は木内さんの真似から始めましたが、時代も変わっている中で、それだけでは足りないプラスアルファを自分で積み上げていかなければならないと思い始めました。もちろんU-12の監督となってからはより多くのことを学びました。始めた当初と今では、知識も経験も大きく違いますし、やり方もだいぶ変化したと思います。
大学院に行ったことも学びの一つでしたが、U-12の監督を始めてから少年野球の現場の人たちと関わることが増え、少年野球での現場の声を聴く機会が増えました。その中で、指導者に対して批判的な声を聞くこともたくさんありましたが、少年野球の現場を見てみると、指導者だけに課題があるわけではなく、親御さんが問題となっていることもあります。
どんな指導者でも、それまでの野球界を支えてくれたことは確かなので、今の時代にそぐわないという理由で単純に排除してしまうというのは間違っていると思います。ただ、時代に合わせていく中で、そぐわない指導者は自然と減っていくとは思います。
また、子供を預ける親御さんのチームや監督に対する接し方としても、子供を手元から離して委ねることが出来る、という姿勢が必要だということを大切にしてほしいです。
指導者に預けたら、指導者を信頼するということが信頼関係です。指導者に預けても信用できないといって、子供に付きっきりになってチームに関与するということは好ましくない。もっとこういう練習をしろ、なんであんな采配をしたのか、という批判をする親も増えている。指導者、保護者どちらにも言い分はあるでしょうが、まずはお互いのあるべき姿や立ち位置を考えてほしいです。
―子供が叱られる、ということに対して敏感な親が増えていることでもありますか
常識的に考えたら自分の子供が叱られているところを、なかなか親としては冷静に見られないとは思いますが、今の家庭と昔の家庭では、子供に対する「いい子」の意味合いが変わってきていると思います。
昔は、外でいい子になるように家で教育をする、外で恥ずかしいことをしたら、親も恥ずかしいと思われる。だから外で恥ずかしいことはしないように、という教育があった。
今は、家の中でいい子が「いい子」、親にとっていい子が「いい子」になっている。だから外で怒られると、なぜうちの子を怒るのですか。うちの子はいい子なのに、となる。だから他人が自分の子を怒るということを屈辱と感じてしまう親が多い。
スポーツ選手が持つ社会性とは
―以前のインタビューで、社会性に関してお話されていることがありましたが、スポーツ選手の社会性について詳しく教えていただけますか。セカンドキャリアを考える上で重要な観点だと思います
自分もそうですが、一つのスポーツをずっとやってきた人というのは、あまり多くの人に会っていないことが多い。社会で働いていると、全く関係ない様々な人と出会って、色んな意見に触れることが出来る。でも、ずっと野球界で野球だけをやっていたら、いつも関係者や決まった知人、またその周辺の人たちに囲まれて生きていくことになる。そうすると人馴れしていないことが多い。
また、僕らは寮に入って野球のみをやって、例えば夏休みに海に行って遊ぶというような、社会で当たり前に体験できることをしてきていない。
学校でたくさんの学生に会うとか、サークルで遊びに行くといったようなことなど、ごく普通の生活をしていないことが多い。野球でなくてもアスリートであればどのような世界であっても、そのことに没頭していて、社会に出てみないと分からないことがたくさんある。一般社会になじむのには時間がかかるケースは多いと思います。
―部活動におけるチームもある意味いろいろなルールや人間関係があり、ある意味社会の縮図であるという点では「社会性」を学ぶ場だと言えますが、仁志さんの意味する「社会性」は、もっと広い社会通念や常識といった世の中に関することでしょうか
そうですね。チームというのも確かに社会ですが、その狭い中でしか通用しないルールやマナーだけを習得したところで、実際の社会では通用しないことがある。
例えば、監督や先輩が言ったことは絶対であり、ハイ以外の返事はできない、みたいなルールを理解していても、今の社会で、そのようなルールは通用しないし必要ともされないことも多い。指示待ちしかできない人間になってしまう。その狭い世界を、狭い世界にしないようなチームにしていかないといけない。
指導者の道へ
―引退後すぐに指導者の道に入られましたが、現役時代から指導者を志していたのでしょうか
野球界では、引退したら大体コーチになるだろうなという考えはありました。最初は、漠然とそのうちプロ野球のコーチになるのかな、と思いながら勉強を始めましたが、色々なことに関わっていく中で、今は野球界のためになることって何なのかという本質をよく考えるようになりました。
野球界を引っ張っているのはプロ野球ですが、野球界を支えているのは子供達。野球をする子供達がいないとプロ野球が成立しない。じゃあプロ野球を支える子供達を誰が支えているのかと考えると、やはり指導者だと。
指導者がいてくれるから子供達がそこに集まることが出来る。野球をする子供の数がいきなり増えても、指導者がいなければチームは成立しないし、子供達も野球をやめてしまう。一方で、どんなに野球人口が減ったとしても、立派な指導者がいれば、きっと子供達が集まってくるのではないかと。
―理解しました。野球界の発展のためには子供たちの指導。では、子供達にとってのスポーツをやる価値をどのようにお考えでしょうか?
スポーツをやることで、体が健全になるし、心身ともにさわやかになる。スポーツを通して、考える、発想するという習慣が身に着くでしょうし、色々な人に会って、前述の社会性を覚えていくことも一つだと思います。
多くの人にとって人生の目標を見つけることは難しいと思いますが、スポーツをやることで何か目標を見つけることが出来たり、そこに生きがいを見つけたりと、人生を豊かにすることが出来るのではないでしょうか。
一概に、何かは言い切れないですが。スポーツを通して、何かを感じられる機会、人生を豊かにする機会を得られるのではないかと。
―プロ野球を出た後に大学院に行く方は少数派だと思いますが、勉強を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
大学院を考えたきっかけは、野球をやってきて、いずれはコーチをやると思っていたため、自分がやってきた感覚というものを、自分できちんと説明できるようにしたいと思ったことが理由です。
どんなに理論的な選手でも、完璧な理論で説明するということは難しく、感覚的な理論、結局は主観をただ伝えることになりがち。
じゃあその感覚を、他人が再現するときにはどうすれば良いのか。
それはまず、自分の動きがどのように行われているのか、ということを説明できないとほかの人には伝えられない。「なんとなくこのあたりから、こういう角度で、下からこういう感じでいくと、こういう打球が行くんだよ」と言われても分からないですよね(笑)それを理屈として説明できたら、他人に伝えられるんじゃないかと思い、勉強をしに行こうと考えました。実際には、勉強するというよりも研究をするところではありましたが。
―良き選手が良き指導者になるためには、体系的に自分がやってきたことを整理して、なぜうまくいったのかを理論立てて説明できることが重要だと思います。
まさにその通りですね。自分が出来たことだけじゃなくて、他のいい選手がやっていることも理論的に説明できなければいけない。「どうして、あの人の打ち方はいいんですか」と聞かれたときに、説明できる必要があります。
もちろんそのスポーツに関して、知識があって理論として教えられることが出来れば理想ですが、少年野球を教えてくださる方々が、必ずしも技術を全て知っていることが必要ではないと思います。
僕がいつも指導者の皆さんにお伝えするのは、「得た知識を、まずは自分でやってみてください」ということです。世の中には指導書がたくさん出ていますが、ただそれを見て、こう書いてあるからやってみようでは伝えられない。まず自分でやってみてどういう感覚だったのか、と子供達と会話をすることが出来る。そうやって進めていけば、子供達もやらされているのではなく、自分で主体的に学ぶようになる。
―そういう建設的な会話は、指導者にとても大切に感じます
指導の中で、「必ずこう」と決めつけてはいけない。
例えば、僕は指導の言葉の最後に、「~な感じ」という表現を入れています。あまりに漠然としすぎてもダメですが、「上から打つ感じ」とか「下から打つ感じ」というように聞いている方が、頭の中で一瞬イメージを浮かべてから動けるようにすることを心掛けています。
人間の動作は、頭で考えていることを体が体現しているので、まずは頭の中で考えて理解することが必要です。
プロ野球選手のスイングを研究のテーマにしていましたが、選手にインタビューをして、どうやってバットを振りたいと思っているか、どうやって球を打とうとしているかを聞くと、やはりそれは全部スイングの動作の中に反映されていました。つまり人間は、頭の中で考えたことを体が表現しているだけなので、頭の中でまずはイメージを持って、初めて体で表現ができると考えるべき。
―仁志さんは、プロ野球選手として素晴らしいパフォーマンスを安定して継続的に上げられていましたが、ずっと一軍に定着する選手とそうでない選手の差はどういったところにあるのでしょうか?
能力だけでなく、志の問題もあるかと思います。性格ということもありますが、その日暮らしの発想ではなくて、もっとこうなりたい、自分はこうあるべきだ、という向上心を常に持っていると、何か問題に躓いたとしても、ここでこんなことが出来ないようじゃこうなることは出来ないと考えることが出来る。もっと上を目指さなければならないので、目の前の打席に一喜一憂しない。もっと上、もっと先のことを見据えて行動していくことが出来る
―目先の結果だけにこだわらないということでしょうか?
結果も当然大切ですが、自分の目指しているところを明確に持つことが大事ではないかと思います。
ある意味、「出来るふりをし続けることも大事だ」とも思います。出来ないのに出来ると思っているのとはちょっと違います。本当は出来るかどうかわからないけれども、「出来ます」「やります」と言って課題に向かい合う。
そうすることで、自分を追い込み最終的には出来るようになる。当然そこに自分を追いつかせないといけませんからね。