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体操への愛は世界一!美濃部ゆうの新たなる挑戦。

GUEST:美濃部ゆう

体操選手。2008年北京オリンピック、2012年ロンドオリンピック出場。2016年に競技を引退したが、2019年に復帰した。現在は、東京オリンピックを目指し活動中。得意種目は平均台。

※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2020年7月20日に掲載した記事になります。


体操にささげた人生

―美濃部さんよろしくお願いいたします。早速ですが、体操はいつから始めたんでしょうか? 

親子体操へいったのがきっかけで体操人生がスタートしました。私、赤ちゃんの時に特にコロコロしていたみたいで、このままだったら肥満になると言われた親が体を動かす目的で連れて行ったみたいです。

―きっかけが面白いですね(笑)でも、今まで続けられていることがすごい事だと思います。

私の場合、隣で競技コースとしてやっていたお姉さんたちを見て興味を持ち、小学校一年生の頃からオリンピックに出場することを夢として考えていました。ただ、当時の夢はウルトラマンとか、消防士みたいにざっくり捉えていて、正しくオリンピックに出場することの意味を理解していなかったので、親は「外では言わないほしい」と思っていたみたいです(笑)

その後、体操も競技コースを選び、いざ夢の実現に向けて取り組み始めました。本気でオリンピックを意識し始めたのは、12歳の全日本ジュニア選手権の前後です。予選会、決勝大会、全日本大会と試合を重ねるごとにオリンピックまでの道のりが具体的に見えてきました。

―順調に成績を重ねていったんですね。周りの選手と比べると、美濃部さんはどのような選手でしたか? 

「負けたくない」という気持ちで何事も取り組む選手ですね。私、負けず嫌いなので(笑)

その中でも、特に平均台は負けたくなかったですね。得意ですし、好きな種目でした。体操女子は大きく四つの種目(跳馬・段違い平行棒・平均台・床運動)があるのですが、私は爆発的なパワーがあるわけでもないので、技術を磨く競技の平均台が好きでしたし、伸びてきました。好きだから練習量が増えるし、結果も出るからもっと好きになる。相乗効果ですね。

写真:ご本人提供

―「技術を磨く」ということは、身体能力任せに出来ず、多くの時間が必要だと思います。

私の(これまでの)人生はほぼ体操に捧げてきたと思います。小学生の時から一日4,5時間の練習を続けていました。体操中心の生活です。体操の場合、他の団体スポーツと比べ、選手個人が動いている時間が長いと思います。競技間の準備や自分が行う順番も割とすぐに回ってくるので、終わった頃にはヘトヘトです。

―その中で大きな挫折はありませんでしたか?

20歳くらいまではありませんでした。一生懸命、体操に取り組んでいたと思います。本気で体操を辞めることを考えたのは、肋骨を披露骨折したときです。

つらかった経験?数えきれないくらいありますよ(笑)特に、高校生の特はつらかったです。
環境が厳しくて食事制限がありました。食べたいのに食べられないことは苦しかったです。学校も繁華街の近くにあり、いつもおいしそうなお店を横目にしながら練習に行っていました・・・(笑)

毎日体重計に乗らないといけないプレッシャーから、食べることにものすごく意識していて、変な話、ご飯とパンはどちらがたくさん食べられるのか、水分を飲む量も考えて体づくりをしていました。

いつも飢餓状態で体が欲しているので、食べたものを全て吸収するんですよ。だから、年末年始になるとみんな2,3キロは増えています。12月末に向けてたくさん食べて、新年を迎えたら制限をするようなことを行い、休みの5,6日で体を整えるんです。

―ご飯を99g計り食べていたとお聞きしました。

よく、そこだけ取り上げられるんですよね(笑)たまたまテレビの企画で家にカメラ入った時に、ごはんの量を計っているシーンが放送されたんです。ちょっとやってみようと思っていた時期と被ってしまって、運悪く放送されてそのイメージがついてしまいました。

―以前、体の仕組みをも変えてしまうくらいストイックな生活をしていたと他の体操選手のお話をお聞きしたことがあります。

そうですね。女性の場合、生理が遅く来たりする選手も少なくないようです。20歳くらいまで生理がなかった選手もいると私も聞いたことがあります。また、疲労骨折などケガをしてしまうこともケースとしてあります。

この理由として、以前の体操の評価が関係していて、体操は美しい表現をする事も採点の中で求められていて、体の線を細くすることが大事だと言われていました。今は、採点基準が技の表現に変わり、体操のスタイルが変わってきているので、選手の体型もトレーニング方法も変わりました。

努力の先に得たオリンピックの舞台

―先ほどの話に戻りますが、肋骨を疲労骨折するなんて初めて聞きました。どういた経緯があったんですか?

2011年に東京で開催される世界選手権があって、これがオリンピックへの出場権を賭けた大事な世界戦だったんですね。ある意味私にとっては、オリンピックより大事な試合です。その試合に向けてナショナルトレーニングセンターで長期的な強化合宿が始まりました。

代表に向けて取り組むプレッシャーの中、いつもより練習量が増える環境だったので、身心ともに限界を迎えたことがわからなくて、大きなストレスをかけていたんだと思います。今思うと、少し前から「背中あたりに違和感があるな」と思う時がありましたが、痛くて競技出来ないことはありませんでした。

日数を重ねたある日、ナショナルトレーニングセンターが一週間の工事期間に入るので、自分のクラブに戻ることになりました。その時に、呼吸が苦しくなり、ブリッジができなくなり、ついに動けなくなりました。「痛くて出来ません。病院へ行かせてください」と報告し、いざ、病院へ行ってみると「肋骨が折れてるね。肺にささったら死んじゃうよ」とドクターストップがかかり、練習を中断せざるを得ない状況になりました。

大事な時で、自分も狙っていた大会ですし、脂が乗り始めて調子が良くなった時期でもあったので、この時だけは本当に悩みました。

―壮絶な環境で自分を追い込んでいたんですね。先ほど、引退まで考えたとおっしゃっていましたが・・・

そうです。この時に本気で辞めることを考えました。毎日落ち込む日々で、体操をやりたいと思うけど、すぐに辞めたいとメンタルの浮き沈みが激しく、母に相談していました。

母には「やりたければやればいい。ただ、諦めることだけはやめなさい」と背中を押してもらいました。

―大きな挫折から復帰までにはどんなことがあったのでしょうか?

2009年にウクライナから来たコーチが、選手をモチベートすることがすごく上手かったんですね。他の代表選手がいる中でも、ウクライナのコーチを中心に他の先生も私のことを気に留めてくれていて、私が代表に戻れるようにサポートしていただきました。
代表選手があまり出場しない国体に参加し、試合勘を戻しつつ予選から成績を積み重ねることで、成功体験が積み重なり自信につながりました。

そこから2012年のロンドンオリンピックへ出場するために、また自分を追い込む日々が続くのですが、オリンピックとなると結果を求められるし、自分もそこしか見えなくなるので、毎日100%以上でやっていました。出場する事ができた2012年は体がボロボロでした。

でも、今振り返ると、2010年の苦しい時は良い休憩時間になったと思います。自分を振り返り、身心の休憩ができました。

実際、行動として変えることができたのは2012のロンドンオリンピック以降ですが、練習スタイルも変わり、いい意味で無理をしないようになりました。

―やはり、美濃部さんの中でオリンピックは特別なものですか?

オリンピックは特別ですね。2016年に引退を決める時も実は体はボロボロでいつ辞めてもおかしくない状態でしたが、2016のリオオリンピックが見えた時から自然と身体が動くんですよ。オリンピックに対する執着心から特別な力が出てくるんだと思います。

オリンピックというものに対し、諦めないでチャレンジすることは大事なことだと思います。そして、支えてくれた人や環境にすごく感謝しています。

―2度オリンピックに出場していますが、心に残ることを教えてください。

2度の出場は私の中で意味合いが大きく違います。

初出場の北京では、右も左もわからない状況で、実は、私個人として初の世界大会だったんです(笑)ポディウム練習(本番環境と同じ状況で行う練習)ということも知らず、練習会場で緊張してしまって力が入らず浮いた状態でした。練習調子が下がり、挙句の果てには私だけオフ日を返上で練習していました。

結果的には、オフ日返上が私に火を付けて、本番はノーミスで終えることが出来ました。たくさんの観客の中で行う演技は緊張と同時にワクワク感もあり、鳥肌がたったことを今でも鮮明に覚えています。

2012ロンドンオリンピックは、北京で一度経験したからこそ、色々と構えて、考えすぎてしまいました。試合内容としては、少し悔いが残る内容になってしまいましたね。

もう一度、夢の舞台を目指して

―2016年に一度引退をされていますね。

2016年の引退は、身体の衰えと海外コーチの帰国ということが重なり、「今が引退のタイミングなんだ。」と感じました。

身体の衰えは、倒立がしっかりとできなくなったことが大きく影響しています。バク転やロンダートなどの体操競技の基本となる動作です。しっかりとした倒立ができないといい演技が出来ません。

これは辞め時かなと思いました。

もし、この記事を読んでいる方が競技引退を考えていらっしゃるなら、競技を0.1%でも「まだやりたい」と思っているなら続けるべきです。迷うのであれば、続けないと後悔すると思います。

―引退後はカナダに留学していらっしゃいますよね。なぜカナダへ留学したんですか? 

そうですね。古くからの友達がカナダで体操教室を行っていて、私が引退の前に「よかったらカナダにおいで」と冗談半分で言ってくれたからです(笑)引退後すぐに友達に連絡しカナダへ行きたいと伝えると驚いていましたが、すぐに受け入れてくれて2016年の9月にはカナダへ行きました。

カナダでは驚くことが多く、発見もたくさんありました。体操教室で指導していたんですが、友人家族が運営している教室で、アットホームで親切に接してくれて過ごしやすかったです。

その体操教室は、過去1名オリンピアンを輩出したんですが、競技で頂点を目指すためにやっているという子は少なく、体操を楽しみたいという想いで取り組んでいる子が中心でした。

体操を楽しむ子ども達を見て刺激を受けました。日本ではストイックにやる事だけしか知らなかった私に「楽しむ」という、同じスポーツでも違った視点があることを気付かせてくれました。みんなが楽しそうに体操をやっているその姿を見て、もう一度体操をやりたいなと思うようになったんです。

―復帰への大きなきっかけになったということですね。

そうですね。辞めた時は「ここまで努力したんだ」と吹っ切れて納得して引退をしたはずなんですが、カナダでの留学で「楽しい」体操をしたいと思ったんです。

また、幸いにも?ですが、カナダで亜脱臼をしたことも復帰への決意に大きなきっかけです。

元々ボロボロの肩だったんですが、カナダで指導中に亜脱臼したんです。今まで脱臼もしたことがなかったんですが、いつもと違う感覚が続いたので、夏に一時帰国した際に病院で検査をしました。そうしたら「手術が必要」と言われ、カナダから戻り手術をする事にしました。

写真:ご本人提供

この手術が重要でした。手術後に「体操出来るように肩を調整したよ。車輪でもなんでもできるよ」と先生から言われてまた体操ができるようになったんです。すごく嬉しかったですし、「私、体操がやりたいんだ」と思えたきっかけになりました。

もう一つ、大きな理由があります。私が引退する時から種目別で戦うことが出来るようになりました。4種目で戦うことが辛くなり、もし、平行棒や平均台だけで戦うことができればいいなと考えていたので、ワールドカップやオリンピックの選考会などのルールや運営方針が変わったなどのニュースを知ると、「出たかったな」とか「もし、出場していていたらどうなっていただろう」と思うようになりました。

きついことや辛いこともたくさんあるけど、それも乗り越えられると決心することができ、チャンスがあるなら挑戦しようと考えました。

今は、体操を楽しんで取り組めています。ストイックに過ごしてきた過去と比べ、自分から体操をしていますし、自分でメニューを考えて、体の調子と相談しながら、目標に向けて取り組むことが出来ています。

本当は東京オリンピックには間に合わないと思っていたんですが、オリンピックが延期になったことで、ほんの数%ですが東京オリンピックにいける確率があることも分かり、出場に向けてチャレンジしています。

―素晴らしいです。体操には美濃部さんの動かす魅力があるんですね。

そうですね。私、体操LOVEなんで(笑)今まで体操を辞めるかは悩みましたが、嫌いになったことはないです。

体操は自分を心から表現できるものだと思っています。そして、私を成長させてくれました。精神面が左右するスポーツだと思っていて、「心・技・体」が顕著に表れるもので、難しいことも多いですが、出来た時の快感があります。

指導していても「心・技・体」を全部持っている子どもはほとんどいません。もちろんわたしもありません。ただ、わたしはやり抜く根性だけはありました。技も周りより1,2年遅く習得しても、努力で劣りたくないという気持ちを持って、練習量でカバーしていました。

―今だからこそ思うこのスポーツの価値はどういったことがありますか?

スポーツから学べることはたくさんあると思うんです。達成感や努力し続けた結果に得られるものだってたくさんあります。お金で買えないものがたくさん手に入ります。

あと、スポーツは自分の努力や取り組む姿勢で、今後の人生を変えることができるし、
自分を変えることもできると思います。そして、そのリミットが決まってないのがスポーツかなと思います。

だから私は30歳にして復帰しちゃったんですけどね(笑)

自分はすごくラッキーだと思っていて、周りで支えてくれる人や環境があって、応援してくれる人がいる。本当にありがたいと思っています。

―今後、美濃部さんがやりたい事は?

スポーツの価値を広げていきたいです。スポーツから得ることがあることを知ってほしいと思っています。スポーツの価値を一度引退し、復帰した今だから感じています。だからこそ、スポーツの価値を広げていきたいですし、広げるサポートを行っていきたいと思います。
それでスポーツを行う人が増えたら嬉しいかな。

―美濃部さんありがとうございました!

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