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アスリートと社会の距離をより近くに~ロンドンオリンピックメダリスト 西山将士~

GUEST:西山 将士(にしやま まさし)

元柔道選手。ロンドンオリンピックや世界柔道で活躍。階級は90kg級。
2015年引退後、新日本製鉄株式会社(現:日本製鉄株式会社)にて法人営業として働き、2020年12月退職。
現在はProver株式会社CEOとして、「アスリートと社会で働くことの距離を近づける」ことを目的に、アスリートと20代のキャリア支援に取り組む。

主な成績
ロンドンオリンピック(2012) 銅メダル
グランドスラム大会
2010金メダル
2011金メダル
2012銀メダル

※本記事はnote移行前の旧SPODGEから2021年5月6日に掲載した記事になります。



「続けること」こそ、夢を掴む第一歩

ーオリンピック選手として活躍後、ビジネスパーソンとしても活躍する西山さんですが、柔道を始めたキッカケを教えてください。

小学校1年生の頃から始めました。結論から言うとやりたい訳ではありませんでした。4歳上の兄が町にある道場へ通っていて、母と一緒に送り迎えをしていたところ、道場の師範が兄を迎えに来る私に余っている道着を着せたことが私の柔道家としての始まりです。

母は柔道を勧めていませんでした。しかし、一度やると決めたことは小学生の間は辞めてはいけないという母の教えがあったことと、私も約束を守らなければいけないという想いから柔道を続けました。
母は厳しかったですね。中学時代も途中で柔道をやめないという約束で福岡まで通っていました。振り返れば、母の教えがあったから今の私があると思います。

ー高校は名門校『国士館高校』へ進学。そして、高校で日本一を獲得しました。ご自身で特別に取り組んでいたことはあるのでしょうか? 

国士館高校へは中学校3年時に初めて出場した全国大会で、個人戦3位に入賞し声を掛けていただいたことで進学しました。

私自身、新しいフィールドや環境変化に対する適応には時間がかかる方だと思っていて、高校1,2年の時はまずは周りについていくことを意識していました。いきなり一番強い選手に勝つことは難しいので、細かく目標を刻み、中長期的な目標はぼんやりしたものを設定し、目の前のことに集中することで、結果的にインターハイ優勝につながったと思います。

ー一方、大学では全国優勝など成績は残されておりませんが、2012年のロンドンオリンピックで活躍されました。努力を積み重ね、継続した結果なのでしょうか? 

結果的にはそうですね。正直なところ、大学時代、社会人1年目まではオリンピックは出場すらできない遠い夢だと思っていました。

高校3年でインターハイチャンピオンになり、強化選手として指名された私は日本柔道のトップ選手と練習する機会をいただいたのと同時に、実際に手を合わせることで「オリンピックは厳しい」ということも実感しました。また、大学は団体戦優勝を目標としていたため、チームで勝つことを意識するようになり、個人で勝つ優先順位は低くなったと思います。

そして、インターハイでの活躍を見た前職の日本製鉄株式会社に声を掛けていただき、アスリート採用で入社しました。
今でも覚えているのは、入社面接の時に「何が目標ですか?」と質問された時に、「日本製鉄も世界で戦う企業なので、私もオリンピックを目指します」と答えました。今振り返れば心の底から出た言葉ではなく、面接パフォーマンスだったと記憶しています。

入社後、PCとデスクを準備していただきましたが、実際は柔道の合宿や試合の報告ばかりで、競技に振り切った行動をしていました。

私の同期はまだ仕事に慣れていないながらも責任のある業務に必死に取り組むなかで、私は柔道に専念するために気を遣っていただき、社内会議向けの資料印刷や電話応対をする程度のみでした。

その時に「柔道家以外の側面で社会人として手元に残せるものは何だろうか?」と思いはじめたのがアスリートのキャリアについて興味を持つようになったきっかけです。

ただ、当時は私自身何ができるのかを考えて出した答えは、23歳の夏であれば、まだ上のレベルを目指せるということでした。当時の上司に対して「今の取り組み方では周囲の皆さんに貢献することは難しいです。但し、微かな可能性かもしれませんが、私が皆さんに最大限貢献できることはオリンピックへの出場です。」と決意表明しました。上司も「限られた時間の中で全ての力を今注ぎ込むべきだ。頑張れ!」と温かい言葉をいただいたので、23歳から本気でオリンピックを目指しました。

ーオリンピックへの出場は難しいと考えた過去から23歳で決意し、4年後にオリンピックに出場。・・・「すごい」という言葉しかでてきません。

北京オリンピックが開催された2008年に日本製鉄株式会社に入社して、2012年のロンドンオリンピックまでに90キロ級で日本一になることができました。ただ、海外の選手に順応できない日々が長く続きました。

自分では対策をしながら、PDCAを回していましたが、何度か似たような失敗を繰り返してしまうなど、なかなか結果に結びつかない時間が続きました。オリンピック前年となる2011年秋の時点では私は国内3番手で、主観的にも客観的に考えてもオリンピックに出場することは難しいと思っていました。

その時、恩師にオリンピック出場が厳しい状況であることを伝えたところ「厳しい状況ではあるが、オリンピック代表がまだ決まっていないことは理解した。ちゃんと自分で負けを決めてから諦めなさい。」と言われた時に、高校の頃「目の前の目標に取り組んでいたこと」を思い出しました。目の前のことに集中し取り組むと、今まで成果に結びつかなかったことが転じて一気に結果に結びつき、国内外の試合で4連勝を果たしロンドンオリンピック代表選手に選出されました。

価値観を変え、行動を変えることが、結果に繋がる

ー西山さんは良い意味でマイペースだなと感じていて、自分の中でモチベーションを上げられる方だなと思いました。

そうですね。振り返れば、母やメンターからの言葉がきっかけとしてありましたが、後から考えたらそこがターニングポイントだったなと思います。それまでの行動や思考がやっとつながったのかなと思います。

結局、言葉だけ追い求めると行動は伴わないと改めて思っています。自分が辛い時、苦しい時は良い言葉など探してしまう時があります。そして「言葉を探すだけではだめだ」と我に返るときがありますよね。なので、言葉を探すのではなく、行動しなければいけないと今でも私自身に言い聞かせています。結果が出ない時も多くありますが、その行動や失敗が将来意味をもたらすようにしなければならないと思っています。

ー行動は結果を変える。ですね。

行動を変え、成果が出たら意味を成してくるのかなと思います。

ーオリンピックは、国民の期待が大きいスポーツの大会であり、特に柔道は日本国民の期待が大きいと思います。その中で出場された時の心境はいかがでしたか?

オリンピック出場が決まってからロンドンへ行くまでは楽に感じました。何があっても自分が出場する切符があるので、緊張や重圧を感じずにオリンピックに集中できたと思います。

大会中は、興奮状態でワクワクと不安がひしめき合う状態が続きました。
試合当日を迎えるまで「いつもと変わらない試合だ」と特別な思いを持たないようにしていたのだと思います。前日の夜は結局ほぼ一睡もできず、自分も人間なんだなと感じました(笑)。

正直なところ、国民の期待やプレッシャーなど関係ないと思っていました。期待を背負うこととは何かと考えた時に、全て期待をそぎ落とし、自分のことだけを考えることだと思っていました。そういうマインドセットで戦っていましたが、心のどこかで「ここで負けたら」とか試合相手のこと意識してしまい、外的な要因で心を揺さぶられました。

アスリートと社会の距離を近づける

ー話題を変えます。西山さんは引退後、会社員として営業活動をしていたとお聞きしました。

2016年に引退し、その後5年間は日本製鉄株式会社の法人営業を担当していました。引退する前に、指導者になる道も考えましたが、今の経験やスキルを柔道界に持って帰っても、柔道業界に貢献することは難しいなと感じていました。依って、まずは社会経験を積みたいという思いから社業に専念する道を選びました。

当時は、国内のアッセンブリーメーカーに対して薄板製品を販売する法人営業を担当しており、予算作成やデリバリー対応・取引先との価格交渉や新製品を企画提案すること等が主な業務内容でした。
最初は、「とにかくやってみる」という気持ちを持って取り組んでいました。

ー現在のお仕事は何をされているのでしょうか?

日本製鉄株式会社は2020年末に退職をして、Prover株式会社を起業しました。アスリートと20代のキャリア支援事業に取り組んでいます。アスリートが引退した後、仕事に取り組むことは、立ち位置として異業種へチャレンジするという人達と同じ感覚だと思っています。異業種の方と関わりが少ないアスリートをサポートし、アスリートと社会で働くことの距離を近づけるサービスを作りたいと考えています。

ー他の競技者との交流はあるのでしょうか?

自身でアンテナを高く張れば交流の機会はあると思います。私はラグビー、フットサル、サッカーといった各競技で同じような課題を持つ方々と集まって意見交換をしていました。ラグビーの廣瀬俊朗さんやバドミントンの池田信太郎さんといった方々から刺激を受けています。

ーアスリートは引退後に就職しようと思っても、企業側からすると雇用する意味を見出しづらいという事があると思います。トップ選手はPRや広告ではバリューを発揮するかと思いますが、ビジネスパーソンとしての純然な評価としては見出しづらいと思います。

我々アスリート側から明確且つ具体的に価値を発信できていないという大前提がありながら、評価の仕方がわからない部分が大きいと言うのが現時点での企業側の捉え方だと認識しています。
今はまだ確かな考えが纏まってはいませんが、アスリートとして経験とビジネスの世界の共通項を探し、それを自身の経験から拾いながらキャリアを歩んでいくことが新たな価値を見出すヒントなのではないかと思っています。

自ら情報を発信し、「社会」を手繰り寄せる

ー最後の質問になります。現在、アスリートとして活動する傍ら、起業する方やYouTuberとして活動する方も増え、活動の幅が広がっています。西山さんはどのように感じていらっしゃいますか?競技に対する時間の確保や、結果が出ないときなどSNSでの風当りを感じることがあると思います。

発信すること自体はとてもポジティブなことだと考えています。SNSなどで批判的なコメントを受けるかと思いますが、周りの方のサポートを受けながら自身の想いや考えを発信することも大事なことだと思います。

ーご自身で情報を発信するときに心掛けていることはありますか?

明確なものはないですが、格好をつけないで発信するということを意識しています。
SNSなどでも、私が苦しかったことや恥をかいた経験を伝えることで、少しでもアスリートや若手ビジネスパーソンのお役に立てれば良いなと思っています。


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